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日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課
1 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 00:13:04 ID:BCXzwY+n
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、798でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。

2 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 00:13:40 ID:BCXzwY+n
初代スレ
「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ
「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ
「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ
「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

3 名前:楽園の最高裁判長 四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 00:15:19 ID:BCXzwY+n

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.


4 名前:楽園の最高裁判長 四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 00:36:29 ID:BCXzwY+n
>>前スレ771 >>スパイといえば川島芳子は外せませんね。王族の娘で美貌の男装

遥か前のスレで「川島芳子」のことは少し触れましたが、その際に義父の
川島浪速に『肉体関係』を迫られたかどうかが話題に上りました。

その後、複数の書物で芳子の同母兄である「憲立」の証言が挙げられて
いますから、おそらくは事実なのでしょう。一説には芳子と浪速は寝室を
共にしていたとあります。また、それが「男装のきっかけ」になったのは
間違いなさそうです。

例えば、『支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将』(船木繁著)にも同様の
既述があり、芳子の日記には「家あれど帰るを欲せず、涙あれ泣くところを
得ず」と書かれています。

5 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 00:48:33 ID:BCXzwY+n
ド初発から、名前を直すの忘れた……orz.w

>>軍司令官として実戦経験もあり、ほとんどアニメの主人公みたいな設定。

まあ、川島芳子としては1933年8月、熱河作戦で『熱河民団連合定国軍総司令』となり、
4万人の民兵を率いたのが「絶頂期」でしょう。その時、何とまだ26歳です。

最近はドラマや小説を読んでいても、ちっとも楽しくありません。何故なら
『事実は小説より奇なり』だからです。実在の人間、歴史ほど面白いものは
ないのです。

6 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 01:10:56 ID:BCXzwY+n
>>前スレ720 >>番組中で「中国の犠牲者は1000万を越えると言われています」
>>と表現した件につき、

ただ1点注意すべきは「支那の人口」です。当時4億人とも4億5千万人とも
言われていましたが、切りの良いところで4億人として置きましょうか。

仮に支那の犠牲者を1千万人だとすると、総人口に占めるその割合は
2.5%にしかなりません。

逆に太平洋戦争での「日本の犠牲者数」は民間も含めて約300万人です。
当時「一億玉砕」と言われたように日本の総人口は1億人ですから、
その割合は3%と支那以上のパーセンテージになってしまいます。

仮に朝鮮や台湾など諸々の植民地を除くと、日本内地の人口は7千万人に
過ぎませんから、さらに比率は4%以上と高くなります。

7 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 01:19:40 ID:BCXzwY+n
いくらアメリカを筆頭に世界中を敵に回して戦争をやったとしても、
一方的に自国を蹂躙され続けた支那の方がパーセンテージが低いのは
感情的に納得しかねるところではあります。

その点、だつお氏が主張する「チンピラゴロツキ3500万人」という
死者は10%近い数字ですから、ある意味妥当と言えるのかもしれませんw。

やはり1千万人では殺し足りなかったのか……w。

8 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 01:34:06 ID:BCXzwY+n
>>前スレ770 >>数十年単位どころか、親子代々のスリーパーでさえ、
>>当たり前、ということになるのか、などと。

上原勇作(元帥)が支那の奥地にまで「独自の牒者」を派遣していた事を
鈴木貞一(陸軍中将)が往時を振り返って絶賛していたのは、既スレで
何度も書いてきたことです。

要するに、明治の頃の日本の方が危機感もあり、インドやシベリアなど世界の
僻地にまで人を送り込んで「情報収集」に血眼になっていたという事です。日本は
国際連盟の常任理事国など『1等国』になるに従って、その座に胡坐をかくように
なり、却って「情報オンチ」になってしまったことを嘆いた訳です。

親子代々のスリーパーなど、宣教師ぐらいしか考えられません。本人はともかく
家族の問題がありますからね。ただ1つ例外があるとすれば、それは『移民』です。
在日朝鮮人など意識・無意識を問わず、スリーパーに近い存在ではありませんかw。

9 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/25(金) 01:41:58 ID:BCXzwY+n
現代で言うならば、ヨーロッパへの「イスラム系移民」などは
スリーパー以外の何物でもありません。いずれ国を乗っ取られる
のではないでしょうか?w

第二次世界大戦前夜では、アメリカには「ドイツ系移民」が多いので
米国は参戦しないのではないかと、真剣に議論されたものです。

まあ、後世から見ればどれ程「机上の論理」でも、化けの皮が剥がれる
までは『奇妙なリアリティ』があるという典型例ですねw。

日本は満州に対する「移民」でも、ほとんど上手く行きませんでした
(特に満州国成立以前)。移民とは「口減らし」の要素を除けば、
ほとんどスリーパー送り込み目的ですが、日本人は全然向いてないです。

10 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 01:55:18 ID:???
だからそのほとんどが南方でしょうが・・・
シナにおける日本軍の損害は四五十万。
国民党軍戦死三百万民間人が同数としても六百万にしかなりません。
だいたい三八式が主力の日本軍のキルレシオをどんぐらいだと見積もってるのか・・・
いっとくけど独ソ戦でも民間人より兵士の方が多かったんだぞ。

11 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 01:57:23 ID:???
たった十数年で失敗といわれましても・・・
南米じゃ大統領まで出したぐらいなんですが。
半世紀も続ければ成功したはず。

12 名前:俄将軍 :2006/08/25(金) 02:21:13 ID:???
>>8-9
日本と中国の関係も、清国の時代から、辛亥革命、混乱から、中国統一へ、と
いった流れが、ということになると、中国の中の中の人の優先順位も、変わ
ってくるということになるのか、などと。

スリーパーにしても、一代、ということになるのか、家業と関係してくるとい
うことになると、本邦の政財官暴の中の人を問わずに、親からの繋がりなど、
という当たり前の話になると、国内外を問わないということにもなるのか、
などと。

子供に、本業と裏家業、双方の資質を持ち合わせているのか否や、ということ
はありますが。

13 名前:俄将軍 :2006/08/25(金) 02:26:08 ID:???
>>12
対象国の移民に紛れ込んで、活動するにしても、日本人が、白人国家で、とい
うことになると、第二次大戦前の米国など、困難、ということになるのか、
ナチスドイツとの協力体制など、ということもあるのか、などと。

米国で、日本人が活動するにしても、地域に、日本人移民が多ければ多いほど、
溶け込めるということになると、欧米へのイスラム諸国からの移民、日本の
特定在日外国人の中の人など、連想したり、といことになるのか、などと。

本邦の特定在日外国人の場合、不法入国者以外の何者でもありませんが、それ
はそれとして。

14 名前:俄将軍 :2006/08/25(金) 02:30:27 ID:???
>>13
スリーパー目的にしても、質と量、ということになると、対象国家で、如何な
る活動を、ということになるだけでありますから。

>>11
北米、中南米での本邦の浸透工作は、米国による日本人移民の一生取締り、収
容所に収容された、ということになると、逆に、浸透していたからこそ、と
いうことになるのか、などと。

国籍を取得して、帰化していた、ということになると、尚更、ということにな
るのか、などと。

コスタリカなど、枢軸に、浸透された懲罰、ということになると、背筋が凍る
ということに。

15 名前:アーネスト・キング :2006/08/25(金) 03:06:55 ID:???
すばらしい手際だ。心から貴国らのスリの技術に敬意を表するが、ついては東京までの切符を発行して欲しい。
むろん、米国海軍の名誉にかけて、料金は近日中に持参することを約束する

16 名前:+( ´ー`)y-~~ ◆qcSwJl520Y :2006/08/25(金) 03:09:00 ID:???
米国海軍は実に頼もしいですね。
さすが、世界最強の海軍です。

17 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 03:31:21 ID:???
スリーパーは質より数だよ。
北鮮の補助工作員がイイ例。能力なければ本国からある奴手引きして
入れちまえばいい。

日本人にはスリーパーって向いていない。
郷に入れば郷に従えで南米ですら日本語が理解できない
子孫が多くなる有様ではとてもとても無理。
中国人みたいに密入国する位のバイタリティでもって人の移動が
無いと駄目。

18 名前:俄将軍 :2006/08/25(金) 08:16:19 ID:???
>>17
ユダヤ人も、イスラエルで、ヘブライ語など、復活させた、ということになる
と、宗教、政治、思想などの連帯など、ということになるのか、などと。

戦前の朝鮮半島、満洲といった中の人も、日本側に協力すると見せかけて、と
いったようなことだけでなく、満洲、朝鮮半島で、教会をベースに、工作活
動など、ということもあるのか。

>中国人みたいに密入国する位のバイタリティでもって人の移動が
>無いと駄目。

蒸気の場合、人の移動にしても、事実上の「侵略」と変わらないのではなかろ
うか、などと。

>>12
「中国の中の中の人の優先順位も、」を「中国の中の人の優先順位も、」に修
正。

19 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 12:24:45 ID:???
>>18
言葉は重要な要素。英語で通しているユダヤ人とよく判らん約束の土地で
ヘブライ語を話すイスラエル人の間に隙間風が出てくるかも試練。
内ゲバを起こしやすい民族だし。
あざと過ぎる民族はまず身内を出し抜く傾向強し。
中国人も然り。

謀には宗教、結社、商人で鉄のトライアングルを組む傾向あり。
表に出ている協会だけでなく、モグリの教会もあり始末に終えない。

侵略と云うより寄生だ。蚤みたいにぴょんと跳ねて居心地のいい所で
寄生する。宿主の機嫌を損ねて殺戮されてしまう事もある。
母屋をとられるのは己が蚤になってしまった時だ。
蒙古と女真の何処で差が出てしまったかと言えば、蚤と同化したか
しないかだ。女真は弁髪強要した分、満州国で命脈を永らえたに過ぎん。

20 名前:俄将軍 :2006/08/25(金) 20:08:00 ID:???
>>19
イスラエル建国によって、出身国の言語、それまでの母国語では、不具合が、
ということになると、イスラエルでの共通語が、ヘブライ語、ということ
になるのか、などと。

ユダヤ人に必須の言語が、ヘブライ語、ということになるのか、ヘブライ語が
喋れないユダヤ人との間で、違いが生じるのか、ということになると、キブ
ツなど、色々、イスラエルの中の人も、ということになるのか、カルトの
強化、ということになるのか。

開戦前の米国の日系人の間でも、日本人会、米国籍を有する二世など、という
ことになると、JACLのマイク・正岡など、日米両国で、日系米国人の取
りこみという面もあるのか、などと。

本邦の特定在日外国人の場合、敗戦後の歴史的な経緯からも、無法な不法滞在
者以外の何者でもなく、日系米国人と、似ても似つかぬものであることは、
指摘するまでもありませんが。

21 名前:民間人 :2006/08/25(金) 22:22:28 ID:???
支那事変で質問です。
南京大虐殺は戦時国際法で見る限り問題無しとのプログを目にしますが
実際問題どうなんでしょう。

22 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 22:31:32 ID:???
■日本軍が集団虐殺した中国軍民の数 ■最大値140,990人 最小値80,830人 出典:南京事件
戦闘詳報(日本軍公式記録)陣中日誌(日本兵記録)などの日本側史料に基づく日本軍が集団虐殺した中国軍民の数

日時 部隊             殺害数     範疇
第16師団 12/13 歩兵36連隊  ■5000〜6000人  長江渡江中殺戮
    歩兵33連隊 約     ■2000人        〃
    佐々木支隊        ■一万数千人   敗残兵殺戮
    〃            ■数千人     投降捕虜殺戮
    1中隊          ■1300人 〃
    重砲兵第2大隊      ■7000〜8000人 投降捕虜処刑
  12/14 佐々木支隊      (■約2万人)   捕虜とする 処刑の記述なし。
    歩兵第20連隊      ■800人      装解除して殺害
    〃            ■310人      武装解除して銃殺
    〃           (■約1800人)   捕虜を連行 処刑の記述なし。
    〃            ■150〜160人   敗残兵を連行処刑     〃 ■600人 〃
  12/24〜1/5 佐々木支隊    ■数千人     敗残兵狩りで処刑
第13師団 12/14 山田支隊    ■約1000人    敗残兵掃蕩  
  12/16〜17 〃         ■約2万人     捕虜殺害 下記参照
第9師団 12/13〜24 歩兵7連隊 ■6670人     難民区の敗残兵刺殺
第114師団 12/13 歩兵66連隊 ■1500余人    安全を保障する旨の投降勧告に従った捕虜を殺害

23 名前:名無し三等兵 :2006/08/25(金) 22:33:36 ID:???
第6師団 南京攻撃中      (■5500人)    捕虜捕獲 処刑の記述なし。
  12/10〜13          (■11000人)    上河鎮下関遺棄死体 処刑の記述なし。
  12/12〜13          (■1700人)     城壁遺棄死体 処刑の記述なし。
第5師団 12/13 国崎支隊    (■約5000人)    捕虜の処置軍に委任 処刑の記述なし。
  12/14 歩兵41連隊     (■2350人)    捕虜を後刻処置する 処刑の記述なし。
第2碇泊場司令部 12/16     (■約2000人) 下関で敗残兵処刑 目撃記録。
  12/17            (■約2000人) 下関で敗残兵処刑 処刑の記述なし。
海軍第11戦隊 12/13       ■約1万人 長江渡江中殺戮  
  12/14 軍艦「熱海」     (■約700人) 敗残兵武装解除 処刑の記述なし。
  12/15 第2号掃海艇      ■約500人 敗残兵殲滅   軍艦「栂」 ■約700人 敗残兵殲滅  
  12/16前後           ■数千人 八卦洲の敗残兵殺戮  

※「処刑の記述なし」に関しては、前後関係他の資料との比較検討により、処刑された可能性が高い

第2次世界大戦でも、戦闘終了後にこんだけ殺した例は無いんじゃねえの?


24 名前:民間人 :2006/08/25(金) 23:48:15 ID:???
>>22-23
便衣兵は戦時国際法違反で重罪だそうでが、
それは便衣兵では無いのですね。

25 名前:名無し三等兵 :2006/08/26(土) 00:15:37 ID:???
南京虐殺は他でやれ

26 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 00:32:49 ID:fSf5W6lR
>>10 >>国民党軍戦死三百万民間人が同数としても六百万にしかなりません。
>>だいたい三八式が主力の日本軍のキルレシオをどんぐらいだと見積もってるのか・・・

第11軍の「作戦概況」をまとめると以下の通り。便宜上、キルレシオを『K』と表します。

●漢口作戦(1938年)支那軍の遺棄死体:14万3千人、日本軍戦死者:4567=K33
 ですが何か?

●南昌作戦(1939年)支那軍の遺棄死体:2万4千人、日本軍戦死者:500人=K48
 ですが何か?

●襄東作戦(1939年)支那軍の遺棄死体:1万5千人、日本軍戦死者:650人=K23
 ですが何か?

●かん湘作戦(1939年)支那軍の遺棄死体:4万4千人、日本軍戦死者:850人=K51
 ですが何か?

27 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 00:47:39 ID:fSf5W6lR
●冬季攻勢(1940年)支那軍の遺棄死体:5万1千人、日本軍戦死者:2100人
 =K24ですが何か?

●宜昌作戦(1940年)支那軍の遺棄死体:6万3千人、日本軍戦死者:1400人
 =K45ですが何か?

●漢水作戦(1940年)支那軍の遺棄死体:6300人、日本軍戦死者:132人
 =K47ですが何か?

●第一次長沙作戦(1941年)支那軍の遺棄死体:5万4千人、日本軍戦死者1670人
 =K32ですが何か?

他にも北支那方面軍で
●中原会戦(11941年)支那軍の遺棄死体:4万2千人、日本軍戦死者673人
 =K62ですが何か?

28 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 01:07:32 ID:fSf5W6lR
>>10 >>シナにおける日本軍の損害は四五十万。

ざっと「キルレシオ」を30と仮定しても、45万人×30で支那人を
1500万人は殺ってないとおかしい計算になりますw。50であれば
軽く2000万人をオーバーします(藁)。

もちろん上記は「数字のトリック」があり、前スレでも述べたように日本軍は
支那人の遺棄死体のダブルカウントなどは当たり前(別に日本軍に限った話では
ありませんがw)、さらに戦場では、そもそも遺棄死体をカウントする暇など
ないので、単純に自軍(日本軍)の戦死者数を何倍かして報告するのが通例だった
と言います。

一体どこでこの話を読んだか、ようやく思い出しまして『長沙作戦』(佐々木春隆著、
図書出版社:1988年)でした。この話を横に置いたとしても、上記の支那人の遺棄死体は
かなり水増しされていると考えるべきです。また日本軍は、戦死者の他にも3倍の
負傷者がいます。よって全体の戦死傷者は約4倍と考えてください。

29 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 01:22:44 ID:fSf5W6lR
こう考えると、上記のキルレシオの数字は極端に小さくなるでしょうが、
そもそも支那軍は散り散りになって逃げる事が多いですから、負傷兵だけの
統計なんて出しようがないのですw。よって日本の『戦死傷者数』と比べる
のはフェアではないでしょう。やはり『遺棄死体』が対象となります。

また支那軍の負傷兵は「医薬品の極端な不足」からそのまま死に至るケースが
多いですし、そのまま原隊に復帰することなく『土匪』となって戦力外になる
場合もあります。大きな戦闘があった付近の都市では「●●部隊の兵員の原隊
復帰は●●の場所で」と立て札が掲げられていたりしますw。

いかに戦場が自国とはいえ「ほほえましい」の一言ですw。

30 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 01:52:55 ID:fSf5W6lR
>>10 >>国民党軍戦死三百万民間人が同数としても六百万にしかなりません。

前スレの終わりの方でも述べましたが、徐州作戦での「黄河決壊」による支那人
民衆の死者・行方不明者数は89万人、被災者は125万人に上ります。もちろん
指示したのは当時、漢口にいた蒋介石ですが、これは日中戦争の犠牲者数に
含まれるのでは無いでしょうかね? 先方の理屈ですとw。
ちなみに200万人が家を失っています。

さらに1942年に起きた「河南省」の大飢饉です。前年まで続いていた凶作に
トドメを刺したような惨状で、省人口3千万人の約10%にあたる200万人
から300万人が飢死しています。

これも日中戦争間で起きた出来事ですので、支那人の犠牲者数にカウントするなら
先の「黄河決壊」と合わせて、この2つの出来事だけで400万近くの民間人死者
となります。こう考えていくと、トータルの犠牲者数なんて上限があって無い
ようなものです(藁)。

31 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 02:17:47 ID:fSf5W6lR
ちなみに日中戦争における「支那人難民」は先方の主張によると、9千万人以上
とされますw。総人口の4分の1の計算になります(藁)。

>>10 >>だいたい三八式が主力の日本軍のキルレシオ

それは幾らなんでも日本軍を「舐め過ぎ」です。支那事変中、ホワイトという
アメリカ人ジャーナリストが国民党中央宣伝部に勤務していましたが、自身の
戦場体験を次のように書いています。長くなりますが、そのまま引用すると
以下の通り。

32 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 02:25:38 ID:fSf5W6lR
「私が目にしたのは、塹壕の中の兵士たちが錆びた機関銃で守備についており、
 あるいは旧式の小銃を磨いている図であった。

 中国軍の前哨部隊は2、30人で構成され、伝令により営(大隊)の
 本部と連絡していた。営の本部と師の本部の間には電話線が引かれていた。

 日本の部隊は村落に200人から300人で駐屯しており、野戦砲に支援
 されていた。山の上から日本軍を見渡すと、至るところに見ることができたが、
 どの場所でも中国側の兵力は日本側の5倍はあった。

 しかし日本軍部隊はすべて重機関銃と野戦砲を装備していた。中国側の武装兵が
 日本側の1、2キロ以内に接近すると、必ず火力によって撃退された。この火力に
 対して中国側はなすすべがなかった――」

33 名前:名無し三等兵 :2006/08/26(土) 02:37:27 ID:???
毛沢東が「持久戦論」を発表しなければいけない理由がよくわかりました

34 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 02:50:29 ID:fSf5W6lR
>>11 >>たった十数年で失敗といわれましても・・・南米じゃ大統領まで出した
>>ぐらいなんですが。半世紀も続ければ成功したはず。

まあ、ペルーのフジモリ大統領はいましたけどねw。今どうしているんだ?w
南米移民は二世でも『二重国籍』の黙認状態だそうです。要するに、例えば
ボリビアのパスポートと日本のパスポートの両方を持っている人が多い訳です。

アメリカや日本に行くときは「日本のパスポート」を出した方が入管で執拗に
調べられずに済みますし、逆に中南米の隣国に行くときはボリビアのパスポート
の方が便利です。

しかし満州移民については、十数年の歴史では済みません。日露戦争でのポーツマス
条約以降です。

35 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 03:02:36 ID:fSf5W6lR
今までのスレで既述ですが、初代満鉄総裁である後藤新平は50万
もしくは100万の日本人を満州に移民させることを主張し、

「多数の日本人を満州に移住させれば、満州は事実上の帝国の領土となり、
 後年還付(関東州・満鉄利権を指す)の場合においても我の利益は確定不動」

と述べています。また日露戦争で外相だった小村寿太郎は、1909年2月の帝国議会演説で
いわゆる「満韓移民集中論」を述べて注目を集めています。小村は

「日本人移民の送出先が世界各地に分散するのは良くなく、満州と韓国に
 集中させるべきだ」という論旨でした。満州移民は日露戦争中も含めて
半世紀近い歴史があるのです。

36 名前:俄将軍 :2006/08/26(土) 07:02:18 ID:???
>>34-35
日本人の満洲移民も、単に、中国人に、数の力で、圧倒されただけ、というこ
とになるのか、日本人が、満州国のWASPになる予定が、日米戦争によっ
て、潰えただけ、ということになるのか、などと。

北支侵出も、米国が、メキシコから、テキサスを奪ったような話、ということ
になると、合衆国の歴史は、ダブルスタンダード、ということになるのか、
勝てば官軍といううだけ、ということになるのか。

新渡戸稲造の中の人も、植民政策に、一家言、ということになると、日本の植
民政策とは、如何にあるべきだったのか、ということに。

37 名前:俄将軍 :2006/08/26(土) 07:05:50 ID:???
>>31-32
記事の時期、中国側の部隊が、中国軍の内部でも、優良な装備だったのか否か
等々、よくわかりませんが、記事の目的が、蒋介石に、援助を、ということ
になるのか、などと。

中国軍も、迫撃砲など用いた場合、日本軍も、手を焼いたり、ということもあ
り、戦闘の規模によって、双方が投入かのうな兵力、装備などにも、違いが、
ということになるのか、などと。

38 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 23:34:28 ID:???
さて「新スレ」も始まったのですが、最近は筆が荒れてきているのではないか?
と自分で反省する時があります。4代目スレも「あんな終わり方」でしたしw、
要するに初期の頃の『丁寧さ』が無くなってきた、という自覚があります。

時々「このスレを定期的に読んでいます」という感想も頂くのですが、カウンターが無いので、
一体どれくらいの人が眺めているのか気になるのが正直なところです。そこで自省も兼ねまして
アンケートをお願いしたいのですが、お暇な方は書き込んでやって下さいませ。(複数回答可)

@今の方が良い A前の方が良かった Bあまり変わらない 
C詰まらん、お前の話は詰まらん!w D有害
E最近このスレを見るようになった  F最近は見なくなった
G調子に乗るな、ウザいw      Hその他
I東方のネタが理解できる      J東方のネタが分からないw

39 名前:名無し三等兵 :2006/08/26(土) 23:44:35 ID:???
11.当方ネタが解らない。葉鍵ネタでやれ。

40 名前:名無し三等兵 :2006/08/26(土) 23:45:06 ID:???
6と11

41 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 23:51:40 ID:???
>>29の補足 >>こう考えると、上記のキルレシオの数字は極端に小さくなるでしょうが、

>>26 >>27 で挙げた数字が「4分の1」になると考えて下さい。そうすると、大体
『K10』となり、その他の文献でもよく見られる数字に似てきます。妥当なところ
ではないでしょうか?

>>支那軍の負傷兵は、そのまま原隊に復帰することなく『土匪』となって戦力外になるケース

また国府軍の敗残兵が「共産軍に吸収される」場合も多く、1937年には4万の兵力に過ぎな
かった『紅軍』が、終戦時の1945年には『100万人』に膨れ上がる大きな要因となります。

>>支那軍の負傷兵は「医薬品の極端な不足」からそのまま死に至るケースが多い

汪兆銘が出奔する以前、日中戦争の先行きに絶望して「どうしてこの戦争を
持ちこたえる事ができようか?」と述べていますが、これは医薬品が無いこと
について語ったものです。

42 名前:名無し三等兵 :2006/08/26(土) 23:51:50 ID:???
とりあえず、前の方が良かったですね。

43 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 00:25:31 ID:???
支那軍の「医薬品」のエピソードは、蒋介石夫人の宋美齢にもあります。

開戦劈頭の『上海決戦』(1937年8月〜)で、支那兵が野戦病院で十分な
治療を受けることが出来ずに死亡していく事を批判されて、

「薬を買う方が兵隊を雇うよりも高くつく」

と発言して総スカンを買います。まあ、マリー・アントワネットの「お菓子」は
無知というか無邪気なだけとも取れますが、美齢は「海千山千」の猛女であるだけに
(西安事件で囚われの蒋介石を救出した)、余計にタチが悪いですw。

>>11.当方ネタが解らない。葉鍵ネタでやれ。>>とりあえず、前の方が良かったですね。

どうもでございます。sage 進行なのに即レスが来てビックリw。残念、自分は
葉鍵ネタが分からないのです。「ひぐらし」はもっと駄目ですか?w  う〜む。
前の方が良かったですか……。心を入れ替えて(少しだけw)もう少し真面目にやりまふ。

44 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 00:49:52 ID:P7tJuBwA
>>41 の補足。>>汪兆銘が出奔する以前、日中戦争の先行きに絶望して

自分が思うに、汪兆銘はインテリ過ぎました。脆弱とも言えます。前途を
悲観して国民政府を去ってしまいました。汪兆銘の『不安』は開戦当初から
のものであり(1937年)、蒋介石の命を受けて南京を訪れた翌日、李宋仁に
対して『戦局に望みが無い』ことを語っています。

今月末までには『蒋介石日記』を読み終われそう(現在5分の4w)ですが、
蒋のどんなに絶望的な状況下でも「プラス思考」を無理やり成し遂げるのは、
驚異的の一言です。精神的な鍛錬によるものであり、古典に支えられた面が
異様に大きいでしょう(蒋の場合は、王陽明哲学)。だから息子にも強制します。

王陽明哲学のエッセンス(の一部)を端的に述べれば、「自己が思い浮かべた
ことは既に実現している」というものです。極端な話、ビルの屋上から「アイ
キャン フライ」と呟けば空を飛べる訳ですがw、このぐらいの意志力を自己に
課さなければ、抗日戦(その前段階も)を戦い続ける事は不可能だったのです。

45 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 01:01:43 ID:???
11です。初代スレから見ていますが、最近の路線は???です

46 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 01:14:23 ID:P7tJuBwA
『蒋介石日記』の編者は、以下のように述べます。

「ほんの一握りの人しか考えつかないし、蒋介石自身も予想だにして
 いなかったとしても、満州事変から盧溝橋事件までの抗戦開始の
 5年9ヵ月余りが、蒋介石の生涯のうちで最も祖国に貢献した
 時期なのである。

 貢献の方法とは、戦闘に勝利するのではなく、屈辱に耐え忍んで
 重責を果たすことだった。だが、この状況をこれまで明確に理解
 している人は少ない――」

まさにその通りでしょう。満州事変(熱河作戦)後の「塘沽停戦協定」
(1933年)に至る対日交渉――蒋介石と実際の交渉を担当した義兄「黄郛」との
電報のやり取りを読むと泣けてきます。

47 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 01:27:29 ID:P7tJuBwA
>>45 >>11です。初代スレから見ていますが、最近の路線は???です

どうもでございます。そうすると『東方』が意味不明でスレが「迷走状態」と
受け止められている訳ですね。う〜む、ここまで認知度が低いとは思わなんだ…w。

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.

この程度のキャラ使用でも『抵抗』がありますかね? また、話の内容の
レベル自体は昔と比べていかがでしょうか? 分かり易さの度合いなども。

48 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 01:34:20 ID:???
まあ、『東方』の創造主・ZUN氏は、自分にとって「上級大将」レベルの
クリエイターなんですが…w。音楽は本当に良いんですよ? 四季さまの
テーマ曲『六十年目の東方裁判』は小便を漏らしそうになるぐらい
カッコイイですし。ガチでw。

49 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 01:34:39 ID:???
>>47
まあ、無問題です。

50 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 02:06:05 ID:P7tJuBwA
>>33 >>毛沢東が「持久戦論」を発表しなければいけない理由がよくわかりました

まあ、「北支の治安戦」でも少し触れるでしょうが、毛沢東の著作では
『遊撃戦論』が入手容易で未読の方にお勧めです(中公文庫BIBLIO20世紀)。

その冒頭の一説、「つまり中国は小さい国でもなければ、ソヴィエト連邦のような
強国でもなくて、大きくて弱い国であるということである。この大きくて弱い国が、
小さくて強い(日本)国に攻撃されている」(だから遊撃戦争の戦略問題が生まれる)

というくだりは、初歩的な記述のようで「ハッと」させられる思いがします。

また、収録されている『反攻開始前後の抗日根拠地(1945年)』の図は、北支一帯が
鉄道付近以外、ほとんど共産根拠地で塗り潰されており、気分が激しくブルーに
させられますw。

51 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 02:24:47 ID:P7tJuBwA
>>(中公文庫BIBLIO20世紀)

中公文庫は『最終戦争論』『戦争史大観』(石原莞爾)、『岡田啓介回顧録』、
『秘録 東京裁判』(清瀬一郎)、『細川日記』(細川護貞)、『マッカーサー
大戦回顧録』などが手軽に読めて良い仕事をしていますね。

最近の新刊ですと、結城昌治の『軍旗はためく下に』がピカいちです。
北支の治安戦についても少し窺えますが、圧巻は「敵前党与逃亡」の
章でしょう。南方戦線の飢餓の島で、敵前逃亡で処刑されたとされる
兵士の疑惑に迫るものですが、戦後の関係者の証言を並べていくだけ
なのに、下手なミステリー小説「顔負け」の面白さです。

要するに、「誰も信じるな(Trust No One)」という事です。

52 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 02:30:08 ID:???
次の企画はイナゾウ中佐による参謀旅行に決定

53 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 02:43:16 ID:o1g50R06
>>38
3代目スレから読み始めた者としては Bあまり変わらない です。
東方ネタわからないけど、個人的には時々AA貼ってくれた方が読み易い

54 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 02:48:00 ID:P7tJuBwA
>>36 >>日本人の満洲移民も、単に、中国人に、数の力で、圧倒されただけ、

まあ、そういう事です。そして地理的に日本から近過ぎたのもあるでしょう。
一旗挙げるため大きな決心をして満州へ訪れる訳ですが、小金が溜まると
「内地恋しさ」で直ぐに引き揚げてしまいます。

ハワイや南米くらいの最果ての地でしたら、こうはいかないでしょう。

満州への移民は、日露戦争終了後の1906年頃から本格化する訳ですが、1930年
時点の人口調査でも、満州滞在5年未満という日本人層が半分近くを占めます(45.7%)。

>>新渡戸稲造の中の人も、植民政策に、一家言、ということになると、

無い無い(笑)。自分は「戦争の犬」ですので、そんな大それたものは
ありませんw。本当は、民主党スレにも出入りしたいのですが化けの皮が
剥がれるので無理なのですw。

55 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 02:57:08 ID:???
どうもでございます。

>>52 >>次の企画はイナゾウ中佐による参謀旅行に決定
「海の人」に連れて行って貰った方が面白そうですw。

>>53 >>東方ネタわからないけど、個人的には時々AA貼ってくれた方が
>>読み易い

う〜む。自分の書き込みは1つ1つが長いので(しかも省略されないように
意図的にMax16行をフルに使っているw)、そのようなのがズラズラ
並ぶと、読まれる方も辛いと思ってAAを貼っている面もある訳です。

自分では『清涼剤w』の積もりでしたが、どうも戸惑う人の方が多い
みたいでふ。

56 名前:元32 :2006/08/27(日) 03:10:49 ID:???
>>55

私も3ですかねえ。
東方ネタはわからないのですが、楽しく読んでいます。

ここは軍板なので戦闘ネタなら詰めて書いてもいいでしょうが、
リース・ロスやライヒマンの話になると、どうしてもわかりにくいので、
適度に脱線するのもひとつのやりかたかと。

57 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 03:19:47 ID:P7tJuBwA
>>37 >>記事の時期、中国側の部隊が、中国軍の内部でも、優良な装備だったのか
>>否か等々、よくわかりませんが

時期は不明ですが、武漢攻略以後であることは確かです。装備は言うまでもなく
劣悪ですが、当時の支那軍では『並み』でしょう。

とにかく支那軍と日本軍の戦闘で「風向き」が変わり始めるのは、1943年5月〜の
『鄂西の戦役』(湖北省西部)以降です。この戦いでは、アメリカが支那軍を
監視していました。要するに「対中援助物資」が有効に使われているかどうかの
試金石です。

>>記事の目的が、蒋介石に、援助を 

>>32の記事は「戦後の回想録」で書籍ですから、当時に報道されたものでは
ありません。

58 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 03:29:38 ID:???
写真が一枚もない新聞紙面は視覚的にパッとしないのと同じ理屈で、
AAを間に挟むという発想は悪くないと思う。他のスレならともかく、ここは独演会状態なんで。
東方ネタは分からず>>39氏と同じことを思ったりするけどw まあ布教と思えば。

59 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 03:39:36 ID:P7tJuBwA
>>56 >>適度に脱線するのもひとつのやりかたかと。

まいど恐縮でございます。前スレは「悪ノリ」し過ぎでしたので、今後は
控えめにしたいと思いますw。

>>37 >>中国軍も、迫撃砲など用いた場合、日本軍も、手を焼いたり、

支那の「迫撃砲」には苦戦させられましたね。占領地での継続的な討伐では、
少数の部隊が出撃したところを『待ち伏せ』でやられるケースが多発しました。

もちろん、日本軍の「駐屯地」自体に迫撃砲を撃ち込むのもザラでしたが、
この辺はイラクの自衛隊を思い出して貰えばイメージし易いでしょうか。RPG。
しかし、所詮は嫌がらせの域を出ません(運が悪いと死傷者は出ますがw)。

何十発(弾があれば)日本軍の駐屯地に撃ち込んだところで、それだけで陣地を
落とせる訳では無いからです。当然、迫撃砲と同時に支那の歩兵が突撃してくる
ケースもありますが、多くの場合は日本軍に撃退されました。

60 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 03:45:08 ID:???
>>58 >>他のスレならともかく、ここは独演会状態なんで。

スンマソン…orz.w 真面目な書き込みも、もっと増やしまふ。

61 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 03:47:41 ID:???
過去スレ見てないのですが航空戦の話てまたやる機会ありませんか?

62 名前:俄将軍 :2006/08/27(日) 10:12:27 ID:???
>>41 >>43
医薬品となると、魔法の弾丸、ペニシリンなど、連想するわけですが、旧軍で
も、野戦病院が機能しなくなると、志気が低下するだけでなく、命を惜しむ
ような風潮など、といった記述など、ということになるのか、などと。

現在の米軍もそうですが、戦場医療の技術だけでなく、「MASH」OPな、
朝鮮戦争で、ヘリコプターを救急車代わり、ということになると、米国は、
他国と、隔絶しすぎているということに。

>>44 >>46
中国の歴史からすれば、異民族の侵入、長期戦など、というだけでなく、中国
の中の人の反日感情というのは、ということになると、漢奸認定されるのは、
致命的、ということも。

日本と、共産党の何れが、主敵であるかでも、国民党内部で、揉めていた、と
いうことになると。

63 名前:俄将軍 :2006/08/27(日) 10:26:47 ID:???
>>50
共産軍の場合、正規戦で、日本軍に対抗するどころか、国民党軍にも、対抗で
きなかった、ということからすれば、ということになるのか、などと。

日本の敗戦後、鉄道など、日本人が、徴用されたように、国共内戦で、重火器
の操作など、共産党に、日本兵の中の人が、徴用されたということになると、
ということに。

国共内戦だけでなく、航空機の操縦法など、旧軍の影響ということになると、
興味深い、ということになるのか、などと。

>>54
アメリカ合衆国に、骨を埋める移民と、インドで、一旗揚げて帰ってくるとい
うのでは、天と地の差が、ということになると、満州国の日本人官僚、軍人、
産業界など、満州国の合衆国化というのは、ということになるのか。

満州国の農業政策も、大規模な機械化と、大量の日本人移民を送り込むのでは、
異なるということに。

64 名前:俄将軍 :2006/08/27(日) 10:42:31 ID:???
>>57
国民党軍も、蒋介石直系か否か、何処の派閥に属しているか、兵隊さんの中の
人の素性など、反日的傾向の強弱、時期、戦区といったように、装備だけで
なく、色々と違いが生じてくるということもあるのか、などと。

イラク戦争での従軍記者もそうですが、従軍記者に、何を見せるのか、という
ことになると、第二次上海事変等々、日本軍が苦戦した戦場など、というこ
とに。

蒋介石の中の人も、国共内戦を視野に入れていたことからすれば、国共合作と
は、という落ちにもなりかねず、エドガー・スノーの中の人のように、戦後
になっても、共産党に好意的な記事など、ということになると、何故なの
か、ということなど、記者の中の人にもよるといこともあるのか。

65 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 11:27:02 ID:???
>>38 スレを改善しようというその意気や良し!で、所感を少々。

イナゾウ中佐の記述は特に解り難いということはないんだけど、
俄将軍の文章は完全無欠のモノローグになってて、凄〜く難解。
自身の見解なのか、疑問なのか、質問なのか、関連する新トピック提示なのか、
述語の省略も烈しくて、どうにも読むのが苦痛。
字面を読んではみても、意図がハッキリ読みきれない。
文章だからどうにかなってるが、口語だったら処置無しだよ、コレは。
イナゾウ中佐、よくレスを返す気になるよなあ。

俄将軍の採用する軍辞的某研主義には遺憾の意を表明せざるを得ない。
改善を烈しく求む!普通に書けや!!

66 名前:俄将軍 :2006/08/27(日) 12:54:24 ID:???
>>65
>文章だからどうにかなってるが、口語だったら処置無しだよ、コレは。

口頭で、軍辞的某研主義を選択するほど、強硬派、というわけでもなく。

軍辞的某研主義を採用している独白軍、ということになると、弊害も大きく、
侵略は、線路に沿って、といったような鉄従事章、というわけにもいかない
ということになるのか、などと。

67 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 15:54:18 ID:???
こんなの見つけた
末期には玉砕もあったと聞くけど

184:名無的発言者2006/08/01(火) 10:21:16

大叔父は若いときに招集されて、中国大陸で戦闘に明け暮れた。
敗戦後、復員し、思い出したように当時のことを話した。
そのひとつ。

功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。
そこはよくしたもので、大抵どこの部隊本部にもベテランの事務担当がいて、
てなれたやりかたで、「名誉の戦死」にしたてて、内地へ報告した。

「どこそこの部隊で上官が戦死」といううわさは、展開する各地の部隊にただちに伝わり、
「さては、やられたな」と兵士同士でささやきあうものだった。

軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。

中国大陸の戦史で「一部隊全滅(玉砕)」という事例が少ないのはこういう事情による。

日中戦争の実態
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/china/1120722832/184

68 名前:俄将軍 :2006/08/27(日) 17:40:29 ID:???
>>67
>軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
>強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
>もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。

強い敵だろうが、弱い敵だろうが、迂回して、目的が達せられるのであれば、
特に、問題はないはずでありますから、後方に戦果を過大報告する以外は、
何の問題もないような、などと。

無謀な戦闘にしても、無意味な戦闘なのか否かで、天と地の差が、ということ
になると、死守命令がでていないのであれば、包囲され、包囲網を破ること
が出来なかった、ということになるのか。

上官の人格に問題があるので、「名誉の戦死」ということになると、また別の
話でもあり。

69 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 17:46:47 ID:???
>>67
牟田口中将や辻政信大佐が全滅を恐れる部下が密かに始末されなかったのは、
日中戦争じゃなく東南アジアで無謀な戦闘をしたから?


70 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 18:01:52 ID:???
>>69
×全滅を恐れる部下が密かに始末
○全滅を恐れる部下に密かに始末

71 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 18:19:47 ID:???
おそらく旅団や大隊のハナシではないでしょうか

72 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 19:26:22 ID:fNXjWKnk
下記について、どうぞお答えください!
@国民党軍の「台湾」逃げ込みは、たとえば日本でいうと本州から佐渡が島へ
逃げ渡るといううような「感覚」だったのでしょうか?
(もちろん両軍、島民、大陸人それぞれ思いは違ったでしょうが)

A共産党(軍)は、敵の台湾への逃亡を、どれほど「予測」してたのでしょうか?

B最後に当時の台湾人(島民)は、国民党・軍を歓迎したのでしょうか?
それとも、敗走のすえ、やむなく彼らが「居座った」ということでしょうか?

以上、とても簡単に言えることではないのでしょうが、
個人的推測でもけっこうですから、なにとぞお教えください。


73 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 21:15:20 ID:???
カイロ宣言で国民政府の台湾の割譲を確認済みなんで重慶陥落以前に台湾への撤退は予測できたとおもう。
蒋介石自身もラジオで「台湾に逃げてでも戦う」と言っていたしな。三、についてだが当初は台湾人たち
に歓迎されていた国民党だったが露骨な収賄の要求や徹底した反日教育、秘密警察の横行などで不満がつの
り228事件にいたるわけだ。

74 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 21:19:04 ID:???
意外かも知れないが50年の永きに渡る日本の植民地支配が土着人たち全幅の支持を得ていたわけでは
なかったのだが終戦後にやってきた国府軍による台湾統治はあまりにも惨かった。

75 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 21:48:23 ID:???
>>前スレ787 >>関東軍の内蒙政策をお願いします。できれば満州事変前後〜1937年の
>>蒙古連盟自治政府の樹立、蒙彊連合委員会の成立まであたりで

一体いくつスレを使えば終わるんでしょうか? そのデカ過ぎるテーマは?w
後で取り上げる予定の「阿片問題から見た支那事変」が相当程度かぶるので、
そちらで勘弁してくださいw。

例えば、関東軍が阿片に手を出す切っ掛けになるのが、満州事変後の「熱河作戦」
における謀略工作の失敗からです。第29軍長の宋哲元を蒋介石から寝返らせる
工作を板垣征四郎(当時・少将、満州国執政顧問)が担当していたのですが、
『機密費の不足』で成りませんでした。

1933年の話ですが、もうこの頃から宋哲元の名前が日本軍の謀略工作の対象として
出てきます。盧溝橋事件だけの人物ではありません。元々は第29軍長であると
同時にチャハル省の主席です。省長と軍長を兼ねるというよくあるケースですね。

76 名前:名無し三等兵 :2006/08/27(日) 22:00:26 ID:fNXjWKnk
73、74様  ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願い申しあげます。
(どんなに遅くなっても、このスレッドを見続けて行きます)

なお、私くしはこの夏、初めてここを知ったので、
イナゾウ様のアンケートへの回答は...、
E最近このスレを見るようになった
Hその他 ...になります。

すなわち、イナゾウさん・偽将軍さま・その他多くの三等兵士の皆様へは、
「その造詣の深さ・鋭さに驚嘆・感慨する」ばかりです。
それでは、今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。


77 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 22:11:19 ID:???
>>61 >>過去スレ見てないのですが航空戦の話てまたやる機会ありませんか?

「重慶爆撃」は過去スレで相当程度やりましたが、まだそのぐらいですかね。支那事変
中盤以降は資料が足りないというか、自分も月並み程度のことしか知りませんので『アレ』
ですが、初期の頃は比較的そろっているので、折を見てやってみましょう。

例えば、1936年には支那で「捐機祝寿」(飛行機を寄付して長寿を祝う)という
運動が行なわれています。これは空軍を建設することで、蒋介石の誕生日を祝おう
とするものです。

日本でも「愛国献納機運動」という類似の『寄付運動』がありますね。これは
陸軍にも海軍にもあって、源田実が献納式で曲芸飛行をやり「源田サーカス」
の異名を取ったのは有名な話です。

話が脱線しますが、当時日本の植民地だった朝鮮でもこの運動は盛んで、何と
「個人で」飛行機を献納できる金持ちが少なからずいたとか…w。

78 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 22:26:25 ID:r2uTkcqR
例えば「文明g」という朝鮮人の篤志家は、個人で陸軍に「94式偵察機」、
海軍に「95式艦上戦闘機」をそれぞれプレゼントしています。ちょうど1935年
3月の話なので、先に挙げた支那の『捐機祝寿』運動と時期を同じくしています。

あまり知られていませんが、都道府県別の「国防品献納金額」で朝鮮は、東京・
大阪・京都に次いで4番目に陸海軍に対する寄付が多かった事実があります。まあ、
朝鮮は元『国』ですから「都道府県と同列に比べる」のはアレなんですがw、現在の
反日ムードから考えると驚く人も多いでしょう。

一応「誰が何を寄付したか」リストは残っているそうですが、公表すると人権侵害が
起こるという危惧から差し控えられています(核藁)。どうしようもない国ですw。
親がやった事と言っても、関係ない子孫も同様に非難されるでしょう。

さて少し脱線しましたが、支那の「捐機祝寿」運動に話を戻しますと〜。

79 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 22:45:40 ID:r2uTkcqR
1936年10月24日、支那の「航空委員会」の報告によりますと、民衆からの寄付は
600万元ほど集まったそうです。これに航空委員会からの補助金287万元を
合わせると、1つの『航空機エンジン工場』の建設が可能と試算されました。

そして計画では1938年3月から生産が始まり、以後年間96機分のエンジンが
生産されると言うものです。この計画は蒋介石自身が批准し、工場も湖南省に
建設される予定でしたが、多数の問題が予見されたので「お流れ」になっていますw。

その問題を挙げると以下の通り。
●材料をどこから持ってくるのか? ●技術者と労働者をどこから集めるのか?
●出来上がったエンジンをどう機体に装着するのか?w ●設計はどうするのか?
●その後の経費はいかに維持されるのか? 

そして●他工場との連携をどうするのか? という肝心の問題があります。戦争
末期の日本ではありませんが、機体はあってもエンジンがない、機銃がない、
タイヤがない、その他の部品がない、という事態がすぐ頭に浮かんだのですw。

80 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 23:05:22 ID:r2uTkcqR
上記は泣きたくなる話ですが、別に支那に限った話ではありません。一国が近代化を
図るうえで、最新鋭の工場を1つ作ったところでどうしようもない、という厳然たる
事実でしょう。つーか、インフラ全般というか、有機的結合というか……w。

支那は戦争末期まで「航空機用の爆弾」でさえ海外から輸入する必要があった国です。
もちろん欧米列強からの『資金・モノ援助』によって急速に改善される訳ですが、
上記>>78>>79は、もし支那が「独力」でやっていればこんな感じ、というぐらいに
受け取っておいて下さい。

>>43 >>支那軍の「医薬品」のエピソードは、蒋介石夫人の宋美齢にもあります。
>>「薬を買う方が兵隊を雇うよりも高くつく」

そして、ここでも宋美齢の名前が出てきます。美齢は1936年に航空委員会の秘書長に
なると「支那空軍」の建設に力を注ぎます。外国からの軍用機購入から顧問の招聘、
そしてシェンノートの雇用(1937年)など、戦争末期にいたるまで空軍内部の人事、
調達、訓練などの大権を握り続けていたのです。いやはや猛女にふさわしいでしょうw。

81 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 23:30:14 ID:r2uTkcqR
>>62 >>旧軍でも、野戦病院が機能しなくなると、志気が低下するだけでなく、
>>命を惜しむ

まあ「支那戦線」はその点、恵まれていたと言えるでしょう。治安維持目的の
『高度分散配置』でも補給路が寸断されない限り、中隊本部などに後送されて
衛生兵による治療は受けられたと考えるべきです。

少し補足しますと、高度分散配置とは『分隊単位』に部隊をバラして各地に
駐屯すること。主に「北支の治安戦」での話ですね。ヤバイのが共産ゲリラや
それに指導された土民などが、補給路に当たる道路を『破壊』することです。

車(馬類含む)が通れないように木を倒して障害物を設置したり、大穴・溝を
『人海戦術』で掘る訳です。夜間に1万人程度がスコップで道をほじくり返すのを
イメージしてみて下さいw。終戦末期に多発しましたが、これをやられると対抗不能、
中隊本部とも補給・連絡ともに途絶、戦わずして撤退を余儀なくされました。

82 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 23:40:49 ID:r2uTkcqR
1冊、支那戦線で衛生兵だった人の手記を持っていますから、それを
タネ本にして『衛生関連』をやっても良いでしょう。

しかし、>>81は、あくまで「駐屯任務」での話です。作戦行動中は、進撃部隊に
補給路が追随できていないケースがほとんどであり、負傷しても後送どころか
逆に作戦部隊へ『前送』しなければ治療どころか、置いてきぼりを喰らうことに
なりますw。

>>62 >>旧軍でも、野戦病院が機能しなくなると、志気が低下するだけでなく、
>>命を惜しむ

支那軍だとさらに劣悪で、雑軍あたりだと負傷したらそのまま『棄兵』です。
付近の都市に、手や足を失った捨てられた兵隊がウヨウヨしており、「治療費を
寄こせ!」と集団で騒いでいます。あるいは、上海などの大都市に流れ着いて
スラムを形成することもあります。

83 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/27(日) 23:54:06 ID:r2uTkcqR
それにしても「支那戦線」は、太平洋戦争開始後の「南方戦線」に比べれば
天国のようなものです。主に食料問題によるでしょう。支那戦線でも「飢えた」
という話は幾らでもありますが、『人が人を喰った』というのは聞いた事が
ありません。ちなみに人肉で一番美味しいのは、足の裏の肉だそうですw。

末期では野戦病院とは名ばかりで、治療も食料も受けられず、ただ衰弱死するのを
待つしかありません。歩くことも出来ず、部隊に見捨てられるのを怖れながら、
最後に待っているのは「空気注射」か……。負傷して野戦病院にたどり着いてみれば
この惨状、自分の末路を想像して「こんな馬鹿な話があるか!」と大勢の見ている前で
手榴弾自決を図ろうとして地面に叩きつけたら、不発。しかも手持ちの2発とも――。

こんな話がゴロゴロしていますw。

84 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/28(月) 00:14:54 ID:nBW6NZvM
>>62 >>漢奸認定されるのは、致命的、ということも。

まあ、共産八路軍が住民を脅すときも「漢奸」という言葉をよく使いましたね。
汪兆銘はインテリ過ぎたゆえに、戦争の前途を『想像』して耐えられなくなり、
とっとと「日本と和平」した方が良いと考えてしまったのです。結果、最悪の『漢奸』です。

しかしこの辺りは、現代を生きる自分たちが偉そうに非難できることではなく、
今にも破産しそうな会社の社長を考えたら、少しは分かるかもしれませんw。
亡国の指導者であるプレッシャーたるや、常人にはとても耐えられないでしょう。

>>63 >>共産軍の場合、正規戦で、日本軍に対抗するどころか、国民党軍にも、対抗で
>>きなかった、ということからすれば、ということになるのか、などと。

抗日戦争中の「共産軍の方針」は明らかです。7割が自己の勢力拡大、2割が
国民党への対抗、1割が抗日です。史実もその通りです。国民党と共産党の衝突は
『新四軍事件』(1941年)など多数ありますが、双方の宣伝合戦により真相は不明ですw。

85 名前:名無し三等兵 :2006/08/28(月) 00:31:07 ID:???
イナゾウ中佐に共産勢力の拡大過程を詳しくわかりやすく教えてもらいたい



と言ってみるテスト

86 名前:名無し三等兵 :2006/08/28(月) 15:24:06 ID:???
日華事変は、なぜ拡大したのか

87 名前:名無し三等兵 :2006/08/28(月) 17:57:59 ID:???
>>84
7割が自己の勢力拡大、2割が 国民党への対抗、1割が抗日
というのは張国壽の言葉でしたっけ


88 名前:ue ◆WomMV0C2P. :2006/08/28(月) 20:14:36 ID:???
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/
最近来た方の為に過去ログうpしました。

89 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 00:03:15 ID:???
>>88 >>最近来た方の為に過去ログうpしました。

過去ログうp キタ━(゚∀゚)━! 謝謝?了!!!!!!!!!!!!!!!!

自分自身はHPどころかブログすら作った経験がないので、どのくらいの
手間とコストが必要になられたのか想像もできないのですが、大変、大変
感謝申し上げます。

こういったネット上ですと、御礼の言葉と「せっかく作って頂いたサイトが決して
無駄にならないように、今まで以上に頑張ります」としかお伝えできないのですが、
その功績により、どうぞこのスレでは『少将』の階級をお名乗り下さい。もちろん
「使徒」にも後の機会にうpさせて頂きます(笑)。

90 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 00:17:14 ID:8UePPnvd
スイマセン。謝謝の後の字が「?」となって出ませんでした……w。

>>85 >>イナゾウ中佐に共産勢力の拡大過程を詳しくわかりやすく教えてもらいたい

質問が「漠然」過ぎです。とりあえず「盧溝橋事件」勃発の1937年で共産軍の勢力は
4万5千人。1年後の1938年末(武漢戦後)には5倍の20万人以上に膨れ上がります。
さらに終戦時の1945年には、またまた5倍の100万人となり、国民党軍に十二分に
対抗できる兵力を持つことになりました。

>>87 >>7割が自己の勢力拡大、2割が 国民党への対抗、1割が抗日というのは
>>張国壽の言葉でしたっけ

自分の記憶では、毛沢東が「抗日戦争」開始直後に行なった訓話の中の言葉だと
記憶しています。正確には「7分発展、2分対抗、1分抗日」ですね。まあ、
張国壽も同様のことを言っていたかもしれません。

91 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 00:25:18 ID:???
>>90
あなたはどのイナゾウ中佐ですか?
金のイナゾウ中佐?
銀のイナゾウ中佐?
それとも普通のイナゾウ中佐ですか?


92 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 00:33:20 ID:8UePPnvd
似た内容で記録として正確な電報に残っているのが、1937年9月17日に
毛沢東が朱徳・彭徳懐ならびに各師の正・副長に送ったものです。そこには

「紅軍は現時点においては『支隊の性質』であり、決定的な戦闘を
 決定する作用を発揮しない」

とあり、抗日戦は「やる気ナッシング」ですw。八路軍からすれば自分の
準備が整うまで、日本が適当に国民党軍を痛めつけてくれた方がありがたい
に決まっています。

唯一、中共軍が国民党政府の下手(弱気)に出てきたのが、独ソ戦で
スターリングラードの陥落が近いと危惧された時だけです。もちろん
ソ連が逆襲に転じれば、中共は自分のやりたい放題です。

さらにアメリカに対して、国府軍は日本軍と真面目に戦う気が無いと宣伝し、
自分の所に援助物資を回すようアピールするなど、狡猾そのものの所業です。

93 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 00:43:03 ID:8UePPnvd
>>国府軍は日本軍と真面目に戦う気が無いと宣伝し、

アメリカは蒋介石が『援助物資』を際限なく要求するにも関わらず、
真面目に日本と戦う気がないとキレていた時期ですから、反作用として
中共に「過大な幻想」を抱いてしまった訳です。

とにかくスティルウェルと蒋介石の「仲の悪さ」は筆舌に尽くし難い
ものがあります。スティルウェルは、ルーズベルトに蒋介石がいかに
無責任でどうしようもない人物かを『讒言』し続けます。

長くなるのでこの辺で止めておきますが、まあ人間、Aが×ならもう一方の
Bが正解だったのではないかと目移りしてしまいますよね。本当は両方とも
「×」の事が多いのですが。初めから箱の中に正解は無かったのです。

94 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 00:53:59 ID:8UePPnvd
>>91 >>あなたはどのイナゾウ中佐ですか? 金のイナゾウ中佐?
>>銀のイナゾウ中佐? それとも普通のイナゾウ中佐ですか?

普通のイナゾウ中佐ですが何か? まあ、『ヘルシング』を何とか
ネタに使えないかと試行錯誤しておりまして、

「自分は金色のトビ、自分は自らの羽を喰らい、飼い慣らされる――」

とか考えたりもするのですがw。もちろん、金色のトビは『金鵄鳥』の
別称です。そのままストレートに「自分は金鵄の鳥」とやった方が
いいかもしれませんがw。

95 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 01:11:34 ID:EZpIbnNV
八路軍の「八路」というのは
(当時は)どのような意味ですか?


96 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 01:16:20 ID:???
路=番  八路=八番  日本語では「第8軍」じゃなかったっけ?違うの?

97 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 01:55:58 ID:EZpIbnNV
↑ 96様、ありがとうございました。

98 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 02:58:44 ID:???
過去ログうpってた方がいたので、支那事変に関係した過去ログ等を拾い集めてみました。

陸軍の統制派と皇道派について
http://homepage3.nifty.com/greatarmy/1024259247.html

日本軍閥闘争史
http://homepage3.nifty.com/greatarmy/1047455220.html

★中華民国期の革命勢力★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1016898626/1-7

中華民国期の軍閥を語ろう!
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1004/10041/1004108800.html

民国期親日政府スレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1010/10107/1010761288.html

99 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 05:05:16 ID:???
>末期では野戦病院とは名ばかりで、治療も食料も受けられず、ただ衰弱死するのを
>待つしかありません。

人肉食がテーマの映画、野火でも病人はたらい回しにされてた

部隊長 病人は病院へ逝け!
病院 おまえみたいに健康そうなのは部隊へ戻れ!

何のも往復するハメに・・・
病院は負傷兵で溢れ、重症患者のみ収監、軽症患者は仕方なく周辺で野宿・・・



100 名前:名無し三等兵 :2006/08/29(火) 07:16:46 ID:PTprY2vm
100

101 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 23:21:52 ID:???
>>65 >>イナゾウ中佐、よくレスを返す気になるよなあ。

何やかんや言ってCaineにレスを返す、別宮翁に自分は似ているのだろうか、などとw。

まあ、最初はね。「キレそう」になったものですよw。断片的な語り口調と合わせて、
最初から答えを知っていて、わざと『カマかけ』で質問しているのではないかと、
極めて疑わしかった訳です。しかし段々レスを返している内に、どこまで知っていて
どこまでが分かっていないのか相場が掴めましたので、次第に気にならなくなりましたw。

しかし中尉、あるいは「大尉相当」の知識はある方です。棒にも箸にもかからなければ
前スレであれ程、自分がレスを返しているはずがないからです。もし文体が普通であれば
もっと上を狙える方でしょう。何にせよ「階級コテ」を名乗るなら、常時それに見合う力を
自己証明し続けなければならない、というのがモットーですw。

102 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/29(火) 23:49:27 ID:cyT0XK4z
>>95 >>八路軍の「八路」というのは(当時は)どのような意味ですか?
>>96 >>路=番 八路=八番 日本語では「第8軍」じゃなかったっけ?違うの?

96もチト惜しいのですが、やはり補足して置いた方がいいかもしれません。

まず「師」(日本で言う師団)の上級単位は、言うまでもなく「軍」ですが
支那では国民革命軍の『北伐』(1926年〜1928年)時に生まれました。「師」を
拡充して「軍」とした訳ですね。

そして「路軍」というのは、さらに「軍」の上級単位であり、1930年の中原大戦
時に発生したものです。中原大戦というのは、前スレでも少し触れましたが、
北伐を完成させた蒋介石に対する『旧軍閥』の反蒋クーデターです。

この中原大戦では、軍長の中から6人を抜擢して各「路軍」の『総指揮』に
昇進させています。楊虎城はこの内の1人ですが、後に張学良と共に
「西安事件(1936年)」を引き起こした中心人物です。

103 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 00:36:06 ID:+BzU4upD
ギエッ―――!11!!w。

>>101 で偉そうな事を抜かした直後に、>>102 で大ウソを書いてしましましたorz.w
>>102 は忘れてください(藁)。スマンス。

中原大戦で「軍長」から「路軍(総指揮)」に昇進したくだりは正しいのですが、
「路軍」そのものは北伐時に生まれていました。お詫びして訂正しますw。

そもそも北伐軍(国民革命軍)は「3方向」に分かれて進撃していますから、
『路軍』という名称はその際に発生したようです。すなわち湖南から→長沙→武漢を
攻略した「北伐軍主力」と、湖南から江西省に向かい→南昌を落とした蒋介石自身が
指揮する『中路軍』、そして広州から福建に進んだ『東路軍』(何応金・指揮)です。

北伐時の国民革命軍は、当初に広東を出発したのが8個軍のみであるにも関わらず、
ネズミ算式に増えていきますから(始まって3ヵ月で軍長の階級を持つ者が倍増w)、
もう訳ワカメです(藁)。

104 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 00:50:53 ID:+BzU4upD
地図が無いので分かりくいと思いますが、>>103は、以下のようになります。

↑武漢          ↑南昌
|            | 
|長沙 (北伐軍主力)  |江西(中路軍・蒋介石)
|            |            ↑福建(東路軍・何応欽)
湖南―――――――――――             |
|                         |
|                         |
広州――――――――――――――――――――――――汕頭

105 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 01:07:52 ID:+BzU4upD
線が盛大にズレた…orz. 今日はダメです。もう寝ますw。
クソにまみれる日もあるさ…(藁)。

しかし、大体の感じは掴めたと思います。文献で確認できた訳ではない
のですが、おそらく『路』の意味の由来は「進撃路」から来ていると思います。
多分……。推測で喋ってますので、間違っていたらご指摘くださいw。

「路軍」は更にややこしくなり、1927年に南京国民政府が誕生すると
何応欽が「第一路軍総指揮」に任命されています。この辺りは、明日に
でも補足します。肝心の「八路軍」の「ハの字」も出てきませんが、
明日までに触れられればいいな……w。

106 名前:天城 :2006/08/30(水) 20:53:26 ID:AcaC/PDM
中国は自国の近隣諸国を征服した。中国に征服されてない近隣諸国は日本のみ。
蒙古が日本に攻め込んだが、二回とも台風で全滅した。
日清戦争とは、清国を破り、朝鮮を清国の植民地から開放した戦争。
満州事変とは、日本の権益への清国の反撃を阻止した日本の自衛戦争
盧溝橋事変とは、中国共産党の謀略、中国共産党は謀略の実務者は表彰したが、自国民にも戦争に火をつけた責任を謝っていない。
昭和20年にようやくに日本に勝ったが形だけ。
だから、靖国を含むあらゆることで、日本をしれ伏させることを考えている。中国敗北の3000年の歴史にかけて
このくらいの事実を読み取らなければ歴史を語る資格はない

107 名前:名無し三等兵 :2006/08/30(水) 21:49:12 ID:???
>>106
タイを忘れてる

108 名前:名無し三等兵 :2006/08/30(水) 22:15:11 ID:???
三国志にも五路と呼ばれた作戦があったように思う
魏軍、鮮卑軍、羌軍、孟達の上庸の軍、呉軍が五路から蜀に攻めようと

109 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 22:50:24 ID:D4IuBe+L
>>105 >>1927年に南京国民政府が誕生すると何応欽が「第一路軍総指揮」に
>>任命されています。

「毒を喰らわば皿まで」という事で続きですw。1927年に何応欽が「第一路軍総指揮」
に任命されたと同じく、白崇禧もまた「第二路軍総指揮」となります。ここから路軍に
番号が振られ始めたのが分かります。

中原大戦が終わった直後の1930年12月より、息つく暇もなく「第一次掃共戦」が始まり、
「第五次掃共戦」(〜1934年11月)まで続きますが、この時の国府軍の編制単位は「路軍」が
中心となっています。

例えば、第二次掃共戦では『第十九路軍』(蔡廷楷)、『第二十六路軍』(孫連仲)、
『第八路軍』(朱紹良)が国府軍側の主だった戦力です。ここで「八路軍」の名前が
あがりますが、共産党とは全く関係ありませんw。ややこしい…w。

110 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 23:15:30 ID:D4IuBe+L
掃共戦の1例として、『第二次』(1931年4月1日〜5月27日)をもう少し詳しく
解説しますと、国府軍側の「総指揮」は何応欽であり、トータルの戦力は15個師・
総数20万人でした。結果は、紅軍にこれ以上無いくらいボコボコにされていますw。

毛沢東自身の言として、「第一次掃共戦のときと同様、すべて蒋介石の直系ではなく、
蔡廷楷の第十九路軍、孫連仲の第二十六路軍、朱紹良の第八路軍が最強であり、他は
弱かった」と述べています。

また国府軍の掃共戦では「北路軍」「中路軍」「右路軍」「西路軍」「東路軍」など
といった戦闘序列・担当戦域の分け方もあります。おおむね、1桁ナンバーの路軍が
主力編制であり、20番台などは予備兵力編制とされました。それら「路軍」の下に
「第一編隊」などの編隊があり、さらに下部組織として「師(師団)」があったようです。

上記のような国府軍の『路軍』編制は、支那事変直前の「西安事件」(1936年末)ごろ
までは一般的でありました。第一次上海事変(1932年)の支那側主力は第十九路軍の
蔡廷楷ですね。しかし1937年後半には「路軍」が姿を消して、「戦区」→「集団軍」→
「軍」→「師」の戦闘序列となっています。

111 名前:名無し三等兵 :2006/08/30(水) 23:29:13 ID:???
第5次掃共戦まで4回も敗退を繰り返した国府軍に
東北軍と似たようなメンタリティを感じる。やっぱすぐ逃げ出したのだろうか。

112 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 23:34:56 ID:D4IuBe+L
話が前後して恐縮ですが、念のため更に「中原大戦」を補足しておきますw。

中原大戦とは、国民革命軍「第一集団軍総司令」であった蒋介石に対して、

●「第二集団軍総司令」馮玉祥 
●「第三集団軍総司令」閻錫山
●「第四集団軍総司令」李宋仁

が反蒋クーデターを起こした壮大な内戦ですw。表向きは、蒋介石が「国民革命軍総司令」
と「第一集団軍総司令」を兼任することに反対したとされますが、要は蒋介石が『裁軍』と
呼ばれる「軍の大リストラ」を断行しようとして、自分たちの権力が削がれるのを恐れた
ためです。

上記で分かる通り、北伐完了直後には、路軍の上の「集団軍」が戦闘序列の最高単位
だったことになります。もう書いていても訳ワカメです…orzw。

113 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/30(水) 23:57:20 ID:D4IuBe+L
>>95 >>八路軍の「八路」というのは(当時は)どのような意味ですか?

ここまで来て、ようやく中共の『八路軍』の話に辿り着くのですがw、

>>110 >>国府軍の『路軍』編制は、支那事変直前の「西安事件」(1936年末)
>>ごろまでは一般的でありました

で述べたとおり、抗日戦(支那事変)が勃発した頃には『路軍』編制は姿を消して
います。国共合作により1927年以来の『紅軍』は国民革命軍に改編され、その内の
西北主力が『第八路軍』と呼ばれる事になる(1937年8月22日)訳ですが、ちょっと
古臭いおかしな話です。

さらにその後、中共が提出した「国共合作宣言」を国民政府が承諾して、正式に
『抗日民族戦線』がスタートした1937年9月下旬、華北の中共軍は第二戦区(閻錫山・
司令長官)所属の『第十八集団軍』として蒋介石の指揮下に入る事になります。

114 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 00:12:52 ID:nOtfX1+b
とにかく1937年後半には、他の国民党系の軍隊を見ても「第●集団軍」という
編制に変わっており、『路軍』の名称は姿を消しているのです。

さらに>>113 で、
>>国共合作により1927年以来の『紅軍』は国民革命軍に改編され、その内の
>>西北主力が『第八路軍』と呼ばれる事になる(1937年8月22日)訳ですが

と書きましたが、これはいわゆる「一般的な見解」とされるもので、別の資料には
1937年8月20日付の『国民革命軍抗日戦闘序列』の中で既に「第十八集団軍」の
名前がある訳です。要するに、国府政府は最初から「西北の紅軍」を八路軍ではなく
「第十八集団軍」として見なしていたとも考えられます。

気が遠くなる程、ウダウダ書いてきて結局、何が言いたかったといえば、中共の
『八路軍』という名称は「単なる自称」だった可能性がある事です。少なくとも
国共合作の際に自分から「八路軍」の名前を提示して、そのまま使い続けたとw。

115 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 00:27:33 ID:nOtfX1+b
支那事変での「中共軍兵士」の写真を見ると、『八路』の袖章が
目に止まる事があります。

これが太平洋戦争以降になると、『18集団軍』の袖章が登場し始め、
末期には『18GA』の英語表記となり、さらに太平洋戦争が終結する
直前になると『八路』が再登場してくるのです。

非常にぶっちゃけて説明しますと、要するに中共軍は蒋介石の『風下』に
立ちたくなかったのであり、本来の「十八集団軍」ではなく時代がかった
『八路軍』の名称を好んで使ったのも、その現われです。

また1937年に紅軍を改編する時も、「国民政府軍に」ではなく、あくまで
『国民革命軍に』であることを強調しているのも同様の理由でしょう。

116 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 00:39:59 ID:nOtfX1+b
では何故、八路軍が『十八集団軍』の袖章を使い始めるかと言えば、
太平洋戦争が始まり連合国の援助が始まって以降、国共の対立に
外部から厳しい批判が集まったからです。

あるいは「自分たちは国共合作に協力して、真面目に日本軍と戦って
いますよ(悪いのは蒋介石ですよw)」と米国にアピールするために
『十八集団軍』の袖章を用いたのかもしれません。中共は狡猾ですw。

さらに『18GA』に変化したのは、説明するまでも無いでしょう。
毛唐により分かりやすいからです(藁)。

最後に、太平洋戦争末期に『八路』を袖章に復活させたのは、抗日戦後の
『国共対立』に再び備えるためでしょう。ああ、ややこしいw。

そして現代人が『八路軍』の名前は覚えていても、まず『十八集団軍』を
知らないのは、中共の「宣伝戦」と「反日教育」の成果です。抗日戦を
戦い抜いたのは、あくまで『八路軍』だったのです(核藁)。

117 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 01:14:36 ID:???
こんな長ったらしい文章は読んでられねえよ! という人は、
『八路軍』の名称が「妙に古臭い」とだけ覚えて置きましょうw。

118 名前:95 :2006/08/31(木) 02:32:23 ID:GToA+x1+
イナゾウ中佐殿、ほんとうにほんとうにありがとうございました。
「八路軍」・「第18集団方面軍」に関する貴詳説、むさぼり読みました。
ほんとうによ〜く理解させていただきました。まさに感激のきわみです。
[支那事変での「中共軍兵士」の写真を見ると、『八路』の袖章が... ]等々、
こんな記事読んだのも初めてでした。嬉しかったです。プリント・アウトして、
明日からまた精読します。72の質問もそのうちいつかよろしくお願い申しあげます。
「八路」の名称、そんなにも複雑なる背景・経緯があるゆえ、一般的戦史・戦記や事典では、
肝心のこと(由来・意味・理由)が書かれてなかったのですね。(多分、ほとんどはそれらの著者の知識不足?
なのでしょうが)僕は数年来ずっとこのこと、このほんとうの意味を知りたく、想い続けてました。
今回は心から感謝を申しあげます。...イナゾウ中佐殿に敬礼!



119 名前:名無し三等兵 :2006/08/31(木) 02:35:45 ID:???
『八路軍』の名称は中共の「宣伝臭い」と覚えておきます。

120 名前:名無し三等兵 :2006/08/31(木) 11:37:18 ID:???
88D

121 名前:ニッポンの夜明け :2006/08/31(木) 21:35:44 ID:TOa3K4DZ

月刊誌【正論】10月号

盧溝橋『当事者』が重大証言!日本軍からの発砲はあり得なかった。【長澤連治】

122 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 23:27:21 ID:???
>>118 >>プリント・アウトして、明日からまた精読します。

あんまり「鵜呑み」にされても恐いんですけど…w。何事もそうですが、基本は

Trust No One. 誰も信じるな――。

です。自分の言う事など以ての外w。必ず他の人が同じ事をどう書いているか
ダブルチェック・トリプルチェックしましょう。みんな微妙にズレているはず
ですし、全く違う事が書かれている場合も多いでしょう。

何が正しいのか、どれも正しくないのか、判断するのは貴方次第です。

123 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/31(木) 23:53:34 ID:???
>>108 >>三国志にも五路と呼ばれた作戦があったように思う

自分は「近現代史バカ」なので、三国志は詳しくないのですよw。おそらく
世界史板などで聞けば、三国史に限らず、明や清の時代でも「路軍」に近い
言葉が出てくるのではないかと思いますw。

今までの自分の説明は、あくまで「辛亥革命」以降の『国民革命軍』の話だと
思ってくらさい。

学生の頃は、『三国史』を面白がるのは「悪魔に魂を売った連中」と考えていた
のですが、今考えると非常に勿体無かったかもしれませんw。戦史を紐解くに
当たって、まずブチ当たるのが「地名の壁」ですが、『三国史』を読んでいれば
相乗効果で「支那事変」についても理解が早いでしょう。

ですから、学生の身分で時間のある方は、三国史を読んだ方が「急がば回れ」で
逆に良いと思います。コーエー、漫画を問わず。『三国無双』はどうか知りませんがw。

124 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/01(金) 00:22:59 ID:KCA9sREe
>>111 >>第5次掃共戦まで4回も敗退を繰り返した国府軍に東北軍と
>>似たようなメンタリティを感じる。やっぱすぐ逃げ出したのだろうか。

少し詳しく触れても良いのですが、やはり紅軍の「運動と集中」ですね。国府軍は
圧倒的な兵力で『中共根拠地』を包囲するのですが、部隊間の「相互の連携」が
上手く取れておらず「各個撃破」されることが多かったのです。

もちろん国府軍は、蒋介石の命令による「シブシブの戦い」でやる気がありませんが、
紅軍の場合は『その存亡』が掛かっています。死中に生を求めなければならず、その
必死さが違います。

要するに、国府軍の弱点と思われる箇所(部隊)に「紅軍の全戦力」を集中させて
各個撃破・殲滅を繰り返すわけですね。もちろん一撃離脱で、たぐいまれな運動量が
必要とされるのは言うまでもありません。

125 名前: :2006/09/01(金) 00:34:25 ID:???
>>38

> 一体どれくらいの人が眺めているのか気になるのが正直なところです。そこで自省も兼ねまして
> アンケートをお願いしたいのですが、お暇な方は書き込んでやって下さいませ。(複数回答可)


> @今の方が良い−− つぅ〜か、以前も今も両方良いと思います。

126 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/01(金) 00:38:02 ID:KCA9sREe
まあ、毛沢東の言葉を引くのが一番理解しやすいでしょう。

「人に対しては、指10本を傷つけるのは、指1本を切断するのに
 及ばない。敵に対しては、10個師を撃破するのは、1個師を
 殲滅するのに及ばない――」

つまり、国府軍の最も弱いと思われる一部隊を「血祭り」に上げて、
他の部隊が恐れをなして引き揚げるところを追撃し、さらに打撃を
与える訳です。

特に「第二次掃共戦」の紅軍は痛快で、一挙に国府軍の第28師、43師、
27師、8師、5師、そして第8路軍の朱紹良の部隊をも蹴散らしています。

127 名前: :2006/09/01(金) 00:51:44 ID:???
>>67
> 功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。


−−中支で6年間戦ったわが家の年寄の語った話。

無謀な作戦に限らず、部下に嫌われた上官は、夜戦の時などに、
味方に後ろから撃たれることがあった。

これをわが家の年寄は「後ろ弾(だま)」と、呼んでいた。

上記のような事実が例外的にあったにせよ、全体として
日本軍の軍紀=敵に対する戦闘意欲 は、全期間を通じて
高かったと言っていた。


128 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/01(金) 00:55:07 ID:KCA9sREe
しかし口で言うのは簡単です。

この時の紅軍は、15日間で350キロを走破して、5回の戦闘を
行なっている訳です。1日に直すと約23キロの速さで移動させ続け、
集中した兵力の衝撃力を利用して、国府軍に各個の奇襲をかけたのです。

中共軍は、国府軍の2万余の小銃を鹵獲し、同じく鹵獲した弾薬を
頼りに戦ったとされますw。

「第二次」の国府軍は、紅軍を包囲するため扇状に展開し、一歩一歩
地歩を固める積もりで「攻撃態勢」を取ったのが仇になりました。
第5師長は、負傷して殉職していますw。27師もほぼ壊滅しました。

129 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/01(金) 01:22:20 ID:KCA9sREe
5回にわたる国府軍の「掃共戦」(1930年〜1933年)は、非常にマイナーですがw
基本的な『戦術の題材』としては、非常に良いサンプルだと思います。

全く同じ場所で5回も戦われているのが1つ。国府軍は毎回大敗しますがw、
次回にはその反省を踏まえて展開・作戦を練ってくること、また紅軍もそれに
対応して戦術の幅を広げてくるのが2つ。

ある戦闘の結果と、その「戦訓のフィードバック」が非常に短期間で行なわれ
再試行されているのが3つ。

最終的に「第五次掃共戦」で紅軍は追い詰められて『長征』を強いられる
訳ですが、その理由は国府軍の「トーチカ戦術」によります。徹底的に
トーチカを各所で建てまくりw、紅軍の糧道を絶つとともに得意とした
『運動戦・奇襲』が行なえる「地所」を削っていった訳です。

もちろん、他にも「政治的要因」が絡む訳ですが、長くなるのでまたの機会に…w。

130 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/01(金) 01:29:10 ID:???
>>125 >> @今の方が良い−− つぅ〜か、以前も今も両方良いと思います。

どうもでございます。

所詮「2ch」では、面白くなくなったら、どんなに過去に実績があっても
『ボロ雑巾』のように扱われるものと認識していますので、まあマイペースで
続けていく積もりですw。

131 名前:125 :2006/09/01(金) 01:42:28 ID:???
>>130
> >>125 >> @今の方が良い−− つぅ〜か、以前も今も両方良いと思います。
> どうもでございます。
> 所詮「2ch」では、面白くなくなったら、どんなに過去に実績があっても
> 『ボロ雑巾』のように扱われるものと認識していますので、まあマイペースで
> 続けていく積もりですw。

−−息長く、よろしくお願い致します。


132 名前:名無し三等兵 :2006/09/01(金) 15:16:14 ID:uZH48nNs
中国戦線でアメリカって何やってたの? 日本軍どんどん突破してんだけど、やる気あんの?

133 名前:ニッポンの夜明け :2006/09/01(金) 20:02:47 ID:Vc+qKxVs

月刊誌【正論】10月号

盧溝橋【当事者】が重大証言!

日本軍からの発砲はあり得なかった。

134 名前:名無し三等兵 :2006/09/01(金) 21:03:14 ID:gySPu/pe
>>133
当たり前でしょ。
最近の正論は、沖縄自決の話といい、
後追いというか、焼き直しというか、
安直すぎるわね。
新規の顧客へのリップサービスなんでしょう。
正論の記事は、あまり目新しいものはありませんヨ。

135 名前:名無し三等兵 :2006/09/01(金) 21:12:07 ID:???
中共の陰謀だとしても
盧溝橋で停戦後、ホイホイ進軍する帝国陸軍は相当アホッ子だなww

136 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 02:41:20 ID:???
八路軍には強姦や略奪は無い
三笠宮ですら絶賛したという

137 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 07:32:19 ID:???
>>134
まあこういうキャンペーンは何回も繰り返さないと浸透しないもんだし。

138 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 07:40:23 ID:???
首相が侵略戦争だった。と認定してる国がキャンペーンもクソもないんだが。

139 名前:暫編第一軍 :2006/09/02(土) 21:02:52 ID:???
イナゾウ中佐殿の「路軍」と「第八路軍」に関するレスは非常に良く経緯を説明して
おられます。残る疑問点に関して私からも少しだけ補足させて下さい。都合により
時々(本当に時々)しか書き込みできませんが、引き続き宜しくお願い致します

路軍
路軍とは抗日戦争開始以前の中国軍の編成にしばしば登場する、「軍団」や「兵団」
を含めて複雑な中国軍編成単位の一つです。
 基本的には数個師からなる「軍」に相当しますが、囲剿戦時には指揮下に数個師
からなる「縦隊」を持つ「集団軍」相当として運用されたこともあります。また中原大戦
時には軍閥側でも複数の「軍」を束ねる「集団軍」相当の規模として用いられています。
 当時中国軍(中央側)全軍的に「路軍」が用いられていた訳ではなく、主として中原大戦
以降に中央に帰順した地方軍を「路軍」として収編しています。一部少数の中央直系
部隊を含む例も見られますがこれは督戦目的ではないかと個人的に疑っています。
資料によっては雑牌軍と蔑称?されることもあり当初19個編成された路軍ですが、
最盛期には第二十六路軍まで存在が確認できます。
 1938年頃までに「路軍」は廃止され、「集団軍」に置き換えられていったのはイナゾウ
中佐殿のご説明通りです。
 「第〇路軍」と番号を振られた「路軍」はそれ以前の右或いは左等を冠した方面や
地域を指した「路軍」とは分けて考える必要があるかと思われます。
 尚、中共軍の代名詞ともいえる第八路軍ですが、盧溝橋事件後の1937年7月22日、
軍事委員会から国民革命軍第八路軍総指揮として朱徳が正式に任命されていること
から、当初は正式に第八路軍だったとみて間違いありません。
その後9月12日に第八路軍は軍事委員会の命令で第十八集団軍と改称されますが、
中共側は引き続き第八路軍と自称し続けます。この改称は当時の路軍改編の流れに
添ったものでしょう。第十八集団軍への改称時に朱徳の役職も総指揮から総司令に改称されています。


140 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 21:39:57 ID:uVxTKJtX
>>132 >>中国戦線でアメリカって何やってたの? 日本軍どんどん
>>突破してんだけど、やる気あんの?

その点は日中戦争を考える上で非常に重要な問題です。いずれ詳しくやるとして、
少しだけ肝心ところに触れておきましょう。キーワードは、『大陸打通作戦』と
『連合軍の北部ビルマ反攻』(第2次ビルマ戦役)です。

この2つの戦いは1944年の「ほぼ同時期」に行なわれており、期間を示すと以下の通り。

●『大陸打通作戦』:1944年4月17日(京漢線打通作戦開始)〜12月10日(南寧
 南西で仏印ベトナムへの連絡線を打通、主要作戦終了)

●『第2次ビルマ戦役』:インパール作戦(1944年3月8日〜7月5日)、ミイト
 キーナの戦い(1944年5月17日〜8月3日)、フーコンの戦い(1943年10月30日〜
 1944年6月下旬)

141 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 21:52:12 ID:???
大陸打通ならスティルウェルの本ですね

142 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 21:57:53 ID:uVxTKJtX
もちろん『大陸打通作戦』は日本の大勝利に終わり(戦略目的はともかく
としてw)、『第2次ビルマ戦役』は「インパール作戦」の名前を出せば
説明するまでも無いでしょうw。牟田口の大貢献もあってボロボロです。

逆に支那からすれば、裏口に当たる(同時に補給路)ビルマでは圧倒的な
勝利を収めましたが、「玄関」の大陸正面では大惨敗を喫した事になります。

ほとんどの日本人は、1944年に起きた『この2つの戦い』を全く別々の
問題に考えがちですが、それは非常に大きな誤りです。

支那では『東西両戦場』『東西二大戦場』と見なされており、もちろん
「東」が大陸打通作戦に対する支那側の防衛であり、「西」が北部ビルマ
反攻に当たる訳です。

ここで問題になるのが、「東の戦場」を指導していたのが蒋介石であり、
「西の戦場」を指揮していたのがスティルウェルだった事です。

143 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 22:04:11 ID:???
西と東の連携が極悪になって、
ついにスティルウェルが人間不信というか重慶政府不信になっちまった

144 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 22:26:19 ID:uVxTKJtX
前にも少し触れましたが、蒋介石とスティルウェルの仲は『極悪』です。
連合国「中国戦区の癌」としか言いようが無いくらいです。

太平洋戦争開始以降〜1944年10月まで、『中国軍の指揮権』をめぐる
蒋介石とスティルウェルの暗闘は、ルーズベルトなど外交ルートも
捲き込みながら「延々と」繰り広げられます。

ここで事情を知らない人のために、幾つか説明が必要でしょう。そもそも
「スティルウェルって誰?w」から簡単に触れておきます。

ジョセフ・スティルウェル(中将)は、『連合国・中国戦区参謀長』ならびに
在中米軍司令官という任務にあります。在支武官を務めた経験をもち、また
蒋介石が『連合国・中国戦区司令官』であるのは言うまでもない事です。

スティルウェルは、一方で蒋介石を補佐する立場にあり、他方で在中米軍の
司令官である訳です。両者が指揮権をめぐって衝突するのは目に見えていますw。

145 名前:名無し三等兵 :2006/09/02(土) 22:43:52 ID:???
スティルウェルもそうだが支那の米軍司令部ひっくるめて蒋介石不信ですね。
あとシェンノートの空軍との関係も絡んで、グチャグチャ状態。まさに最悪ですね。
それに和をかけるのが彼らと宋美麗との会話。

しかしスティルウェルが解任されたおかげで重慶政府の腐敗が米国本土にも浸透してしまう。

146 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 22:49:42 ID:uVxTKJtX
>>144 >>在中米軍司令官という任務にあります。

話をカンタンにするために上記のように書きましたが、正確なスティルウェル
の役職は「中国・ビルマ・インド戦区」の米軍司令官です(プラス、蒋介石の
参謀長)。

頭の回転が早い人は、上記の肩書きに「ビルマ」という文字を見つけて、
「ああ、1944年の『第2次ビルマ戦役』に話が繋がるのだな」と来るの
でしょうが、もちろん「第2次」があれば最初の「第1次」があります。

太平洋戦争開始直後、日本軍によるビルマ攻略戦(1942年1月20日〜5月末)で
スティルウェルは、中国のビルマ遠征軍総指揮という立場にありました。

戦闘の経過はクソ長くなるので省略しますが、史実を見ても分かる通り、
スティルウェル側(連合国)のこれ以上無い『ボロ負け』です。

147 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 23:01:10 ID:???
「第1次ビルマ戦役」でスティルウェルは、シェエボ付近で撤退の決意を
しますが、まだ航空機による脱出が可能であったにも関わらず、司令部の
メンバーと徒歩でインドに向かう事を選択します。

このエピソードが米陸軍の下士官兵に「英雄」と讃えられ、スティルウェルは
「アンクル・ジョー」の異名を取る訳ですが、これはまた別の話です。

蒋介石とスティルウェルの『確執』は、この「最初のドッ初発」の戦いから
多くの種が蒔かれておりw、簡単にまとめると以下の通り。

148 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 23:19:49 ID:uVxTKJtX
●スティルウェルは、蒋介石から「中国・ビルマ遠征軍総指揮」に任じられたが、
 蒋はそれとは別に羅卓英を「司令長官」に任命し、羅を通して自分が直接
 各軍・師を指揮しようとした。当然、スティルウェルは『騙された!』と叫ぶw。
 また「指揮権の分散」が第一次ビルマ戦役の大きな敗因とトラウマのように考えた。

●日本軍の進撃が続く中、蒋介石は全軍をミイトキーナに退却・集結させて
 反撃を行なおうと電文で指示したが、スティルウェルは持ち堪えられない
 として返信せずに無視。部隊と共にインドに向かう。結果のみ後電。

特に2番目には蒋介石が激怒して、こう述べています。

「これは全軍をミイトキーナの方に集結させようとした余の考えとは、全く
 正反対である。スティルウェル氏は戦いに敗れたために、精神不安に陥った
 のか? 氏はついに我が軍を離れて勝手にインドに向かった。その知らせと
 してこの電報のみとは、軍紀の何たるかを知らぬのだ」

149 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 23:37:52 ID:uVxTKJtX
日本の「インパール作戦」と言えば、『白骨街道・靖国街道』ですが、
緒戦の連合軍のインド撤退も、それに負けず劣らず悲惨なものでした。

撤退が決定された5月は「雨季到来」の時期にあたります。ミイトキーナ
からインドのレドまでの距離は250キロ、地図上では僅か5〜6センチに
過ぎません。しかし、シンブヤン付近はジャングル地帯であり、インド・ビルマ
国境地帯は2000m級の山々が続きます。追い討ちに土砂降りの雨季です。

イギリス軍の数字では、3万人がインドへ脱出しようとして2万3千人が
成功して辿り着いたとあります。中国軍の場合は、もっと少ない率でしょう。
また独自の判断で「雲南」へと撤退していった、支那軍の師も多くあります。

スティルウェルが印度から重慶に戻って、蒋介石と対面したとき、蒋はスティル
ウェルの責任を追及することなく、意外にも優しく接しました。スティルウェルが
59歳という高齢(蒋より5歳上!)であり、ジャングルを踏破して10キロ近く
体重を落としている理由もあったでしょう。しかし、ビルマは陥落しました。

150 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/02(土) 23:52:07 ID:uVxTKJtX
>>149 >>しかし、ビルマは陥落しました。

「ビルマは陥落しました」で済む話ではありません。ビルマの陥落は
支那全土の『完全封鎖』を意味します。 以後、連合国(アメリカ)による
対中援助物資は「ヒマラヤ超えの空路」に頼らざるを得なくなりますw。

>>145 >>あとシェンノートの空軍との関係も絡んで、グチャグチャ状態。

遠路はるばる空輸された「対中援助物資」は、その大部分をシェンノートの
「空軍部隊」が持っていく事になります。米式装備に訓練された支那の『新軍』
は残りのチンカスのような物資をもとに整備・訓練されていく訳ですが、
トータルの空輸量の積み増し、新軍の指揮権・運用をめぐって蒋介石とスティル
ウェルの確執と憎悪は深まるばかりですw。

勘の良い人は今度こそお気付きでしょう。1944年の『第2次ビルマ戦役』はスティル
ウェルの『復讐戦』です。リベンジです。蒋介石の大陸正面など知ったことか!です。

151 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/03(日) 00:14:16 ID:TKiHNtGR
それで、まあ、予定の話の「3分の1ぐらい」しか来ていませんがw、
明日は朝早くから「都産貿要塞2006」に出撃しますので、そろそろ
寝ますw。ええ、東方ですとも(藁)。続きは今度…。今日はあともう
少しだけ……。月曜は遅い夏休みなので、買う冊数が多い日も安心(核藁)。

さて当初、蒋介石がスティルウェルを「ビルマ遠征軍総指揮」に任命した
のは何故だったのでしょう? また宋子文(外交部長・そしてルーズベルトに
対する蒋介石の個人的代表者)は、わざわざ米国の将軍に中国軍の指揮を
取って欲しいなどと、アメリカ側に提案しています。

答えは簡単で、『名目的』にアメリカ人の指揮官を仰ぐことで、イギリスとの
折衝を容易にしようと考えたのです。もちろん、総指揮は「紙切れの肩書き」に
過ぎず、実際の作戦は中国人(蒋介石)が指導する腹積もりで、さらに援助物資も
チャッカリ頂こうという魂胆ですが、そうは問屋が下ろしませんでした。つーか、
幾らなんでもアメリカ人を舐め過ぎですw。

152 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/03(日) 00:26:53 ID:TKiHNtGR
明日以降は、スティルウェルの『性格』から触れますが、反論を覚悟して
バッサリ分かり易く評すれば、「米陸軍版・ハルゼー」です。口汚いこと
は全く引けを取りませんw。

>>149 >>スティルウェルが印度から重慶に戻って、蒋介石と対面したとき

スティルウェルは、蒋介石の『詐欺』を忘れも許しもしませんでした。自分の
命令に従わなかった、中国側指揮官の処罰を要求します。支那側の記録では
第5軍長の杜聿明を更迭し、臨時に編制されていた第55師長の陳勉吾を処罰
したとあります。

しかし、スティルウェルがマーシャルに提出した報告書では、陳勉吾以外にも
第6軍長・甘麗初と第96師長・余韶、また急編制された第28師の名前の
分からない師長についても言及して、これら4人を『全員死刑』にするよう
申して立てています。

153 名前:118 :2006/09/03(日) 06:24:24 ID:ElINd/b2
139 :暫編第一軍 様!
貴重きわまる補足ご教示をくださり、ほんとうにありがとうございました。
(イナゾウ中佐殿、ほか皆様分も含めて、私くしにとっては何でも貴重ですが)
ぼくは(ぼくの周囲の老若を含めて皆)「八路軍」というと、どうしても
そのイメージは...大規模ゲリラ戦、便衣隊、モーゼル拳銃、昼農夜兵、
遊撃隊、八路やパーロ軍との蔑称、毛沢東(朱徳や林彪は間違っても出て
こない...というか、知らない)、匪賊馬賊...このような講談調、
漫画調の非史実的な話ししか聞かされてなかった(中学生まで!)ので、
その後も、それなりに戦史・戦記を読んでも、今回のように明確にピンとは
こなかったのです。おかげさまにてまさしく目からうろこのおもいです。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。今後ともどうぞよろしく!


154 名前:名無し三等兵 :2006/09/03(日) 20:54:35 ID:TUGxkjKc
イナゾウ@商学徒
    

155 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/03(日) 23:14:53 ID:PkIJUSZ1
>>139 >>当初は正式に第八路軍だったとみて間違いありません。

暫編第一軍さま。毎度どうもでございます。上記は自分の早とちりというか、
勘ぐり過ぎだったようで……。失礼しました。自分は想像力が逞しい割りにw
「脇が甘い」ので、また補足していただければ幸甚です。

>>154 >>イナゾウ@商学徒

また懐かしい名前をどこから引っ張ってきたのか……w。昔は「経済板」に
生息しておりまして、銅鑼殿やスリランカ殿には大変お世話になりました。

「経済板」と「軍板」の住人はほとんど重ならないでしょうから、どこまで
話が通じるか分かりませんが、「苺」の経済板でご活躍のお二人が2chの
経済板に光臨(絨毯爆撃w)されていた時代があったのです。

今の軍板に喩えるなら「ゆうか氏」と「眠い人氏」クラスの2人だと考えて下さい。

156 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/03(日) 23:33:11 ID:PkIJUSZ1
自分が2ch(経済板)に初めて書き込んだ頃は、銅鑼殿とスリランカ殿から
レスを貰っただけで、ちょうど>>118(>>153)氏のように、

「ドラエモン先生! スリランカ先生! ご教示いただいて、まことに
 ありがとうございます!」

と、同じノリで御礼を述べまして「苦笑い」されたものです(核藁)。
それを考えると『立場は巡る』というか、

 まわる、まわるよ 時代はまわる♪ 別れと出会いを繰り返し、
 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって 歩き出すよ♪

と中島みゆきの歌が頭の中に流れてきて、少し感慨深いです。お2人から
「最近、2chの経済板も良くなってきたと思わない? やんばるくいな氏
 イナゾウ氏、ご苦労様です」と言われたのは一生涯の思い出です(笑)。
やんばるくいな氏、お元気? 今ごろ何をされているんでしょうかね?

157 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/03(日) 23:40:01 ID:???
スリランカ殿はまだ現役のようで、自分が学生の頃から『御大』だった訳で
息のすごく長い方です。出来るなら自分もかくあるべし、ぞなもし。

銅鑼殿は一時期、引退騒動がありましたが今は
どうされているのかしらん?

158 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 00:03:12 ID:PkIJUSZ1
>>145 >>しかしスティルウェルが解任されたおかげで重慶政府の腐敗が
>>米国本土にも浸透してしまう。

いわゆる「スティルウェル・ショック」ですが、戦後の方が深刻かもしれません。
太平洋戦争中の『米中対立』は、中国軍の指揮権をめぐる争いです。アメリカから
すれば膨大な援助(資金・物資)をしている訳ですから、当然口出しする権利が
あると考える訳です。いわんや米式装備(訓練)の『新軍』は、です。

実際、スティルウェルも「中国・ビルマ・インド戦区:米軍司令官」でしたから
「ビルマは中国に含まれない。だから貴方(蒋介石)の指揮を受ける云われは無い」
と言ったとか、言わないとかw。グウの音も出ないとはこの事ですw。

159 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 00:19:22 ID:Ees0AgtH
>>152 >>明日以降は、スティルウェルの『性格』から触れますが、

続きですが、何度も繰り返し述べているとおり、蒋介石とスティルウェルの
仲は『極悪』ですw。そして2人とも「性格に難」がありますから、一方だけを
批判すれば、自動的にもう一方を擁護する事になります。

両方とも「公平」に扱えれば、一番良いのはもちろんです。しかし『紙面の都合w』
(文量)という問題がありますから、やむを得ずスティルウェルだけを取り上げます。

蒋介石は「人本主義者」と謳われる事も多いですが、蒋を信望する子飼いの部下からも
「蒋が軍法会議を開かずに、独断で師長などの銃殺を決定するのだけは納得できない」
と批判される点を触れるだけに止めて置きます。あとは察してください。

さて、スティルウェルの日記や手紙などを見ると、その『差別的』表現が多い
ことに驚かされます。蒋介石は『ピーナッツ』などと揶揄されていますw。

160 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 00:38:09 ID:Ees0AgtH
自国の大統領であるルーズベルトについては『ゴムの脚』と呼んでいます。
これはもちろん「脊髄灰白髄炎」を患って下半身が不自由だった事を
指しており、ちょっと『身体障害者ネタ』は幾らなんでもヤバイって!w

またスティルウェルは太平洋戦争終結時、沖縄の第10軍司令官の職にあり、
戦艦ミズーリ号で日本の降伏調印式に参加した時の感想を妻に送っています。

「イギリス人は『太った赤い団子』であり、オーストラリア人は『くそ桶』、
 カナダ人は『ジゴロタイプの老色事師』、フランス人は『きちんとしている方』
 だが副官2人は『アパッチ風の汚い面』をしており、オランダ人は『禿のデブ』
 ニュージーランド人は『いかにも素人っぽい』と映った。
 
 ジャップの目には、なんというカリカチュア(風刺画・戯画)と見えたこと
 だろう。人類を代表するとは到底言えない、拙い面ばかりがそろった」

161 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 01:11:59 ID:Ees0AgtH
いくら日記や手紙が「フラストレーションの捌け口」になるとはいえ、
これはちょっと頂けません。蒋介石が日記を書くのを「修養の場」と
考えていたのとは大違いです。第一、スティルウェルはこれでも
アメリカ陸軍の大将ですw。

また「第三次ワシントン会議」(1943年5月12日〜13日:第3回米英軍事
会議)で、スティルウェルはルーズベルトに「(蒋は)気が変わりやすく
狡猾で、信頼できない老悪党で、話は全く信用できない」と述べていますw。

それにしても、スティルウェルによる蒋介石についての讒言をたびたび耳にして、
当のルーズベルト(米大統領)はどう感じたのでしょうか? 結局、スティルウェル
と蒋介石、2人の『生殺与奪の権』を握っているのはルーズベルトだからです。

この答えの1つとして、1943年3月にルーズベルトがマーシャルに送った手紙を
挙げるのが手っ取り早いでしょう。長いですが重要な部分をまとめます。

162 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 01:19:32 ID:Ees0AgtH
「君(マーシャル)がアーノルド及びディルの重慶行きについて、スティル
 ウェルからの2月9日付の手紙の写しを見せてくれたことに感謝する。この
 手紙をつぶさに読んだが、まずスティルウェルが蒋委員長に対して全く
 誤った接し方をしていると考える。

 蒋介石は中国人であり、我々と同じようなやり方、行動を望む事はできない。
 スティルウェルの言う、『委員長は実際せっかちで扱いにくく、次々にその
 要求を増す』というのは本当であろう。しかしスティルウェルの言う、厳しい
 態度で彼に対処することは、やはり間違ったやり方である。

 我々は記憶しておかなければならない。委員長は困難な道程を経て4億の人民
 が認める指導者になった人物である。各方面の指導的人物――軍人、教育家、
 科学者、医療関係者、エンジニア等を何らかのやり方で団結させることは、
 極めて膨大な、そして困難な仕事である。誰もが権利や全国的あるいは
 地方的な指導力を奪い合っているのだから。

163 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 01:25:37 ID:Ees0AgtH
 (彼は)短い時間で、我々が2世紀かけて得たような成果を全中国に
 打ち立てようとしているのである。

 しかも委員長は、必ずその最高の地位を維持し続けなければならない
 ことを自覚している。もし我々が彼の立場であれば、やはり彼と同じ
 ように行動するだろう。

 彼は行政上の首長であるばかりでなく、三軍の最高司令官である。
 いかなる人もこのような人物に対して、『相手がモロッコのスルタン』
 であるかのように厳しい口調で確実な承諾を求めたりしてはならない」

マーシャルは『モロッコのスルタンw』の箇所を削って、スティルウェルの
参考になるよう転送する事をルーズベルトに求め、許可されました。>>161
第三次ワシントン会議のスティルウェルの発言を見る限り、教訓が生かされた
様子は見られませんw。

164 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 01:31:01 ID:Ees0AgtH
スティルウェルの讒言は、ルーズベルトの蒋介石に対する心証を
確実に悪くしていきましたが、同時にスティルウェル自身の心証も
劣化させていきました。まさに『人を呪わば穴2つ』ですw。

そしてルーズベルトは、最後に「蒋介石を取るか? スティルウェルを
取るか?」の選択を迫られますが、上記の経緯もその決定に大きく
影響しているでしょう。

165 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 06:01:07 ID:???
日本もアメリカも陸軍のお偉いさんは糞が多いのかなあ


166 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 18:00:45 ID:???
わけのわかんねえこと抜かしてんじゃねえよ

167 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 19:40:14 ID:???
第五師団は機械化とか、熊本師団は突撃多様するとか、
支那戦線における師団でなんらかの特色というか、個性というか評判みたいなのってなんかありますか?
インパールのビラみたいな評判でもいいですし装備等でも

168 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 20:28:24 ID:???
失礼します。
初心者です。
こちらの皆さんは、南京事件(いわゆる大虐殺と称するもの)については、
どのような見解をお持ちなのでしょうか。
冷静、冷徹で明快な見解をお聞かせいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

169 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 20:30:08 ID:???
南京事件は荒れるだけだから他で聞け

170 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 20:47:33 ID:???
ここでも荒れますか・・・
荒れずにお願いしたいのですが

171 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 21:28:27 ID:6zNB6uzz
>>165 >>日本もアメリカも陸軍のお偉いさんは糞が多いのかなあ

アメリカ人の美徳に「民主」と「自由」、そして『効率』があります。
スティルウェルもそうですが、人様の国の事情を考えずに『効率』だけを
優先する嫌いがあります。日本の不良債権処理やアジアの金融危機に対する
口の出し方を考えれば、今も昔もそう変わらないでしょうw。

例えば、スティルウェルは中共軍に対してシンパシーを覚えていました。これが
蒋介石との仲が『極悪』になる他方の理由ですが、別に紅軍の革命理論や政治的
思想に賛成していた訳ではありません。

理由は、中共軍が国府軍よりも『効率的』だと感じたからです。後年、スティル
ウェルは自分が尊敬している人物として朱徳(毛沢東ではない)を挙げ、また
軍閥出身で「蒋介石の政敵」であった李宋仁や馮玉祥の名前も賞賛しています。

上記の人物たちは、「誠実で兵士と親しかった」という理由からです。

172 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 21:34:11 ID:???
>>170 >>ここでも荒れますか・・・ 荒れずにお願いしたいのですが

不可能です。南京虐殺は「華麗にスルー」でお願いします。

173 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:41:35 ID:???
>>168
「南京事件」とはんなんだ正確に「南京大屠殺」と言え!

174 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:54:02 ID:???
では「南京大虐殺」とはなんだったのか検証してみよう。

175 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:55:06 ID:???
南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)は、日中戦争(当時は日本側は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約6週間 - 2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。
中国では南京大屠殺と呼び、欧米ではNanking AtrocitiesあるいはRape of Nankingと呼ぶ。日本では単に南京虐殺、南京事件とも呼ばれる。南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われる。
なお、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている(南京大虐殺論争を参照)。

176 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:56:53 ID:???
南京攻略戦
1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に破れた中国軍は撤退を始め、
当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せた。
日本軍は、撤退する中国軍に対し追及を始めたが、兵站が整わない、多分に無理のある進撃であった。
日本軍は、中国軍の複郭陣地を次々と突破し、12月9日、南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行った。
中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、12月10日より日本軍の総攻撃が始り、12月13日、南京は陥落した。

177 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:58:25 ID:???
残虐行為について
日本軍は、南京への進撃中から諸種の残虐行為を行ったと言われている。
その為、南京周辺の町村において、被害の報告が挙げられている。
また、1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、
大規模な残虐行為が行われたと言われている(城内は主に第16師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った)。

178 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 21:59:10 ID:???
市民への虐殺
市民への虐殺については、そのことを直接指示する命令書は確認できないが、当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、
女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
被害者側である中国人の証言からも、理由もなく暴行を受けたり、家族や周辺の人々が殺害されたことが多く確認できる。
当時南京に残留して南京国際安全区委員長を務めていたジョン・ラーベは、安全区の警護のために残されていた警察官全員や発電所の技術者が、日本軍によって大量殺害されたことを記録に書き残している。

179 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 22:00:07 ID:???
捕虜・投降兵の虐殺
第16師団長である中島今朝誤中将は、日記において、捕虜を取らず、殺害する方針であることを書いている。この方針に基づいて、
南京城内外での掃討で、多くの捕虜や投降兵が殺害されたのではないかと見られている。
南京の北方に位置する幕府山では、山田支隊(第65連隊基幹、長・山田栴二少将)
が捕虜約14,000名を殺害したと言われている。山田少将は、この処置は上部組織からの命令であったことを日記に書いている。
南京北部の下関では、捕虜が収容された後に殺害され長江に捨てられたことが、日本側、中国側、
そして残留外国人の記録や証言に示されている。
第114師団第66連隊第1大隊の戦闘詳報では、旅団命令によって捕虜を殺害したことが記録されている。

180 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 22:07:22 ID:???
スティルウェルは『中共』の運動を、一種の兵隊集めであると考えていました。

「Y部隊」と呼ばれた「中国・雲南遠征軍」で補充兵が足りずに問題になっていた時、
スティルウェルは、中共の兵士20人を、国府軍の「一連(中隊)100人」に補充
しようと考えた事がありますw。

この時は、雲南遠征軍・参謀長である蕭毅粛が「2週間以内に連(中隊)全体が
共産主義に変わってしまうだろう」と反対したため実行に移されていませんw。

スティルウェルの『空恐ろしい考え』は効率のみ最優先で、他国の事情というものが
軽視されています。もしスティルウェルが、中国軍の全般的な指揮権を握ったら……
中共に対する考え方1つとっても、蒋介石の『悲鳴』が聞こえてきそうです。

「対日戦」という名目で、中共にアメリカ軍の武器物資・援助が開始されれば
国府軍はオシマイです。他国の内乱の火種にガソリンを投げ込むようなものですw。

181 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 22:19:21 ID:???
スティルウェルも軍人とはいえ大将クラスにまで上り詰めるんだから
共産主義に対する危険な認識は普通にあったんだろうと思うな。

でも現場の指揮官としては、それぐらい酷い有様で藁にもすがる思いだったのではないだろうか。
重慶政府の腐敗臭・病魔に脳が侵される寸前に、
本能的に拒否反応を起こすような状況だったのではなかろうかw

182 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 22:25:56 ID:6zNB6uzz
この辺り、スティルウェルの後任であるウェデマイヤーは心得たもので、
中共軍から「対日戦で積極的に戦うので武器・物資を援助してくれ」と
要請があっても言下に拒絶しています。

蒋介石とウェデマイヤーの関係は非常に上手くいきましたが、前任のスティル
ウェルとの間が『魔女の婆さんの釜』だった理由も大きいでしょうw。

蒋介石もスティルウェルに続いて、ウェデマイヤーとも悶着を起こせば、今度こそ
アメリカとの関係が『断絶する』ことが分かっていたでしょうし、ウェデマイヤー
自身も「前任者の失敗」を目にしています。

しかし何より、ウェデマイヤーが「参謀会議」を積極的に開くなど中国側に
配慮したのが大きいでしょう。スティルウェルの時代は、「アンクル・ジョー
(スティルウェル)の尻のポケットの中に、作戦会議はあるのさw」などと
揶揄されていました。また重要なのは、蒋とウェデの間で「共産主義に対する
脅威」の認識が一致していたことです。

183 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 22:31:06 ID:???
>>179

>捕虜約14,000名を殺害

具体的にどのように?機銃掃射かなんかで?

184 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 22:47:15 ID:6zNB6uzz
>>181 >>でも現場の指揮官としては、それぐらい酷い有様で藁にもすがる思い
>>だったのではないだろうか。重慶政府の腐敗臭・病魔に脳が侵される寸前に

ソ連はともかくとして中共に対する脅威は、アメリカ全体でもほとんど
認識されていませんでしたので、スティルウェルだけを非難するのは
確かに酷かもしれません。

それを言ったら、帝国陸軍でも「中共」に対する専門家は「支那通」に
おいても皆無でしたw。国民党に対する人員は大勢いましたけど。ちなみに
『支那通』を英語で表すと「China Expart」です(藁)。

スティルウェル自身は、中国人を侮蔑していると認めた事はありません。
逆に「イギリス人は種族としての優越感を持っていて、中国人を軽蔑して
いる。いずれ高価な代償を払うことになるだろう」と日記の中で述べて
います(1942年3月13日)。

185 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 22:52:01 ID:???
撲殺とか

186 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 22:57:38 ID:6zNB6uzz
>>181 >>重慶政府の腐敗臭・病魔に脳が侵される寸前に、
>>本能的に拒否反応を起こすような状況だったのではなかろうかw

また有名な言葉ですが、スティルウェルは日記の中で「中国の3億
9990万人は助けるに値する」と述べています(1943年1月30日)。

要するに、残りの10万人は全員が汚職官吏であり、よって「中国の
人民は良いが、政府の人間は良くない」と来る訳です。

スティルウェルの「中国キャリア」は長く、在中武官として武漢攻略戦
(1938年末)にも最前線へ観戦に出向き「酷い目」に遭っています。
具体的には屈指の激戦区だった「徳安の戦い」で、下級の将校や兵士は
勇敢に戦うのに――という思いがあったのかもしれません。

それにしても日本の「支那通」も同様ですが、中国でのキャリアを深く
すればする程、絶望や侮りが大きくなるのはどうしてでしょうか?w

187 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 22:59:11 ID:???
>>185
ガス室

188 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 23:01:45 ID:???
中国の民衆・社会も長い歴史の中でそれをカラダで理解しているからこそ
指導者には、まず第一に「徳」を求める。
国共内戦で国民政府を見捨て毛沢東になびいてしまうのも無理はない。といった感じでしょうか。

189 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 23:03:09 ID:???
1銃剣による刺殺
2小銃などによる銃殺
3銃架・混紡などによる撲殺
4竹やり

190 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 23:09:16 ID:???
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=tre;;id=sikousakugo#atop

南京事件はここで聞け
オールスターが勢ぞろいだ
否定派のドン東ナカーノ先生を粉砕したそうだw



191 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 23:25:26 ID:6zNB6uzz
>>132 >>中国戦線でアメリカって何やってたの? 日本軍どんどん
>>突破してんだけど、やる気あんの?

一般のイメージですと、アメリカは中国に際限なく援助を続けて、そのために
戦争終盤は、日本軍も苦戦を強いられたという捉え方が強いかもしれません。

しかしイギリスと比較すれば「チンカス」のようなものでw、優先順位も相当
低いものでした。例えば、1942年5月にトブルクが陥落して「北アフリカ戦線」が
危機に陥ると、インドに駐留してビルマ・中国で作戦していた『米第10航空隊』
がエジプトの増援に派遣されます。

爆撃機のみならず、全ての輸送機や地上スタッフも根こそぎ持っていかれましたので、
中国への援助物資の空輸に大きく影響しました。また租借法案によって中国に送られる
予定だった航空機も、急にイギリス空軍の手に渡ってしまいますw。

192 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/09/04(月) 23:35:33 ID:6zNB6uzz
支那事変初期まで「航空委員会・秘書長」だった宋美齢が、

「イギリス軍は敗戦のたびに、我が軍が軍備を奪ったり、我が国に
 送られた器材を強奪したりする。こうしたことが続くなら、中国は
 何のために抗戦しているか分からない」

と述べていますが、中国戦区の優先順位とはヨーロッパに比べれば
やはり『チンカス』のようなものに過ぎないのですw。

また、そもそもマーシャル(陸軍参謀総長)は、中国戦区に米軍を
派兵する積もりが無かっただけでなく、大量の物資を供給する考えも
ありませんでした。中国での戦闘には、『内部の資源』を活用すれば
良いという思惑でした(資金援助は別問題として)。

193 名前:名無し三等兵 :2006/09/04(月) 23:41:58 ID:???
>>190
サーバーエラーだって

194 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 01:17:16 ID:???
>>186
>それにしても日本の「支那通」も同様ですが、中国でのキャリアを深く
>すればする程、絶望や侮りが大きくなるのはどうしてでしょうか?w

あくまで私見ではありますが
現場で生の目を通してその民度の低さをみてしまうと一種のトラウマになり反動が生じるのかもしれません。

私の知人にマニラで華僑との合弁会社(出資比率5:5w)に勤めていた方がおりまして、
現地の余りのひどさ(職員が道具を盗むなどは当たり前)から
フィリピンの内情に詳しいからこそ「決して彼らを信用するな」とご教授いただいたことがあります。

机上で間接的に理想を述べることは簡単ですが
現場で直接、それを実践することははるかに難しい、ということなのでしょう。

195 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 05:10:54 ID:???
当時の日本人の一般的なシナ観は漢文世界からのものがほとんどだったでしょうから、
ますますトラウマになりそうですねえ。

196 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 10:53:20 ID:???
報道
この事件は主に軍人や外国の情報に触れる事の多かった外交官の間で伝わっており(前者の代表的な例としては陸軍中将 岡村寧次関係の記録が、後者の代表的な例としては外務省欧亜局長 石井猪太郎の日記が、夫々挙げられる)、
日本の民衆の間でも流言蜚語として広まっていた(流言の伝わるルートとしては軍人が戦地から内地に宛てた手紙が挙げられる)。また、日本の外へ目を向けてみると、欧米では『シカゴ・デイリーニューズ』や『ニューヨークタイムズ』、
中国では『大公報』などのマスコミによって“Nanking Massacre Story”,“The Rape of Nanking”,“Nanking Atrocities”として報道されていた。
南京に在留していたジャーナリストは日本軍の南京占領後しばらくして脱出したため、事件の全容が報じられたわけではないが、事件初期における日本軍による殺人、傷害、強姦、略奪などの犯罪行為がほぼリアルタイムで伝えられていた。
無線が日本軍によって管理されていたため、彼らは南京を脱出して日本軍の占領後に行なわれた略奪や大量殺害を船舶の無線を使って報道した。

197 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 10:54:06 ID:???
被害者数について
被害者数については数千人とする説から、数十万人にのぼるとするものまで様々であり、虐殺事件の存在自体を否定する説もある。
日本の研究者らは数万人程度(うち保守主義者では数百人 - 1万数千人規模説、一部に否定説)と考える人が多く、
海外では数十万と捉える研究者が多い。

198 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 10:54:49 ID:???
事件の背景について
事件の背景として、南京の前にも、日本軍は移動中に上海、蘇州、無錫、嘉興、杭州、紹興、常州のような場所でも捕虜や市民への虐殺・略奪を続けていたとされ、
日本軍兵士・将校の従軍日記や回想録から、進軍中にそれらが常態化していたのではないかと疑われている。否定説では「中国軍が民間人を巻き込むため国際法で禁止されている
便衣戦術(ゲリラ戦術)を採っていたため」などと虐殺の責任を中国側に転嫁する主張がみられる(註)。同様に、中国軍が後退する中で後に来る日本軍に何も与えない為に行った空室清野戦術によると見る向きもある。

199 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 11:02:07 ID:???
虐殺とは抵抗できない弱者に対する殺戮だから卑劣なのであって、その条件さえ満たしていれば相手が成人男性であろうと
女子供であろうと、本質的に卑劣さの度合いは変わらない。男しか殺っていないなどという理由で日本軍を擁護できると
思っているのなら笑止、単なる自己満足でしかないが、現実問題「女子供」に暴力を振るったり殺したりすることは社会的にやはりイメージが悪いだろう。
 以上の考察から、「12月16日の便衣兵掃討で女子供を殺した資料があるか」は問題ではなく、「日本軍が女子供を殺した資料があるか」が問題であることになる。
このさい、兵士個人の犯罪については措こう。軍や部隊の行為としてそういうことをした資料があるだろうか。
東京裁判に提出された有名な書証、「南京慈善団体及ビ人民魯甦ノ報告ニ依ル敵人大虐殺」を引用してみよう。
 「敵軍入城後、まさに退却せんとする国軍及び難民男女老幼合計五万七千四百十八人を幕府山付近の四、五箇村に閉じ込め、
飲食を断絶す。凍餓し死亡する者頗る多し。
一九三七年十二月十六日の夜間にいたり、生残せる者は鉄線を以て二人を一つに縛り四列に列ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。
 しかる後、機銃を以て悉くこれを掃射し、更に又、銃剣にて乱刺し、最後は石油をかけてこれを焼けり。焼却後の残屍は悉く揚子江中に投入せり。・・・・・・
当時、私は警察署に勤務しあるも、敵市術戦に際し敵砲弾により腿を負傷し、上元門大茅洞に隠れ居り、その惨況を咫尺の目前に見し者なり。故にこの惨劇を証明し得る者なり」(『再審「南京大虐殺」―世界に訴える日本の冤罪』より)

200 名前:名無し三等兵 :2006/09/05(火) 11:05:22 ID:???